旗揚! けものみち 第5話
『ケモナーマスク×MAO』
≪感想≫
※2019/11/06
脱字があまりに酷いとご指摘を受けて脱字の修正、文章の加筆を行いました。意味不明な記事になってしまっていたこと、それに気付かずに投稿していたことをお詫び申し上げます。
若干、ノリに飽きてきた(苦笑
まぁ、それはさておいてこの5話なかなかに興味深い。それは、異世界物(異世界召喚や異世界転生。この場合の「異世界」とは最初から異世界のみで成り立つファンタジーではなく、異世界とは別に私たちと同質の現代世界があって何らかのかかわりがある作品における「異種の世界」を示す)にとってある種の盲点のような要素を描いているからだ。その盲点ともいえる要素は何か。
それは、「残された側」の描写である。
これってとりわけ異世界物の作品では顕著なように感じる。例えば、残された側の描写が少ない理由としては何らかの理由で死亡して、その魂が転生するという異世界転生物であるケースが昨今多いことが大きいのかもしれない(まぁ「転生」しているんだから当たり前だが)(あと本作は異世界転生ではなく異世界召喚だが)。
故に、実はあまりこの異世界転生してしまった人の残された側の人たちというモノがほとんど描かれない気がする。転生前に現代で死んでいるケースがほとんどの異世界転生物の場合だと、主人公が転生前の現代で死亡したことに対しての哀しみの描写はあるんだけど、「その後」っていうのはあまり観ないかな、と。
だから本作で「残された側」の描写が思いのほか5話で丸々1話使っていたのは、転生物ではなく召喚物だったというのもあるのかもしれない。
ただ、それを踏まえてもアニメなどのサブカル業界全体で観た時に「残された者」に対する描写ってやっぱり決定的に少ないのではないか。加えて異世界転生物が多いためか、転生の場合には転生した人も、恐ろしいほどあっさり割り切ってしまうことが多いから余計に描かれない。
そう言う意味では、転生ではなく召喚だからこそ源蔵(ケモナーマスク)に強い執着を抱いていたライバル・MAOの心理描写と周囲の反応というのは興味深いものとして描かれていたのかもしれない。
まぁ、最後はお前も召喚されちゃうんかい!ってところだが(爆
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NoTitle
異世界召喚物で残された側の描写があるのはさして珍しい話でもありませんし
まともに内容も見ずにデタラメな感想を書くのはどうなんでしょうか