映画『天気の子』

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見なきゃ始まらないよね、ということで(笑 『君の名は』の時も、自分好みはしないだろうなぁとは思いながらも、「食わず嫌い」をするのもいかがなものかと思って自分を奮い立たせて観てきたわけだけど、今回もそんな感じ。
あらすじとしては、
離島暮らしに嫌気が差し、異常気象で雨続きとなった東京へと家出してきた少年・帆高(ほだか)は、怪しげなフリーライター・須賀(すが)に難を救われた。
しかし期待してきた東京だったが、安易にアルバイトは見つからず次第に浮浪者のような生活を強いられる。そこで出会ったのは、こっそりハンバーガーをくれたマクドナルド店員の少女。彼女のおかげで何とかその日を食つなぐ日々だが、そんな折、帆高はごみ箱の中から本物の拳銃を手に入れてしまう。
生活に困り已む無く須賀を頼った帆高は、姪の夏美(なつみ)しかおらず人手不足だったこともあってあっさり採用されると、オカルト系フリーライターの助手として少しずつ東京の生活にも馴染み始める。
その矢先、自分にハンバーガーをくれた少女がチンピラたちにラブホテルへ連れていかれる姿を目にしてしまった。てっきり強要されていると思った帆高は、少女を助けようとして、隠していた拳銃を発砲。実際には、母が死に幼い弟がいるためにお金が必要だった少女の邪魔をしただけだったことにショックを受ける帆高。
そんな彼の姿を見て少女・陽菜(ひな)は自分が、100%の晴れ女だと告白。実際に、雨の東京に晴れ間をもたらして見せた。その光景を目にした帆高は、陽菜に「その力を仕事にすれば水商売な仕事を始めなくて済む」と提言。
この予想は見事に的中するが、晴れをもたらす陽菜の身体には少しずつその代償が起こり始めて――
と言う感じ。
ちょっと長くなりそうなので感想は追記に。
自分の中でも上手く纏められそうにないので、項目別に書いていこうと思う。ちなみに言っておくと「細かい感想書くなんて見入ってるね」とか「思い入れがあるんだね」とか言われそうだが逆だとだけ言っておく。本当に面白い作品は事細かくに感想書かなくても極論を言えば「良かった」のひと言で済むのである。言いたいことが山ほどあるということは、そういうことなのだ。一応これでもちゃんと観覧料金払ってるし、その元を取るというかその料金くらいの記事は書いておかないとね(笑
【設定・世界観】
面白い。これは新海監督自身、予想もしていなかったことだろうが、結果的に公開日となった七月の東京は連日の曇天続きで、図らずともこの設定・世界観と合致。この辺りで「リアリティ」が強まってしまったのは、監督にとってプラスだったのかマイナスだったのかは定かではないが…。
雨続きの東京、その中で祈ることで100%晴れ間を呼べる少女、そして晴れを呼ぶ巫女の代償。それらを自然に引っ張り出すためのオカルト系フリーライターという主要キャストの存在。これら「骨格」となる基本設定は実に無駄なく構築されていると感じた。
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【ストーリー】
『君の名は。』の焼き回し、セルフリメイク。
そんな印象がどこまでも拭えない。しかも、『君の名は。』と比べてテンポが悪いので、2時間という時間が間延びして感じてしまったのが第一印象。
第二印象は、基本は王道的なセカイ系ストーリーであること。変哲のない主人公と世界を変える力があるヒロインと、そのヒロインと世界とを天秤にかけられた時に主人公がどう立ち向かうかと言うことを描いている。それ自体には良し悪しはない。ただ後述するキャラクター要素を組み合わせると、どちらかというと悪い印象に繋がっているかも。
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【キャラクター】
とにかく出来が悪い。ストーリー要素が及第点ならこちらは落第点。同じストーリー構成でもキャラ設定や言動、流れを変えることでもっと良い印象に出来たのではないだろうか。
・帆高
しっくりこない。彼の無計画さ、無謀さを「若いから」とだけで言い切れない部分が強いのが難点か。冒頭、名もなきネカフェの店員に「学習しないなぁ」と非難されていたがまさにそんな感じなキャラ。彼が家出をしたバッググラウンドも定かではないし、肩入れし辛い主人公ほど観ていて辛い作品もない。
・陽菜
ヒロインとしては纏まっていたと思う。家族のためにバイトをし、好きになった帆高を始め人々のために一度は人柱になることを決め、最後は帆高に説得されて帰ってきた。帆高の癖が強すぎるので、このくらいあっさりというかヒロインとしては良い意味で無個性さが活きてる。
・須賀
評価が分かれるのはこのキャラだろうな、と思う。無責任な、今の大人らしい大人と言えばそれまでだが、正直どっちつかず感が酷い。明らかに帆高が未成年だと知って雇っておきながら、警察が来ると掌返して追い出して、警察から帆高が逃げてその理由が陽菜が人柱で消えたからと聞けば涙し、自分の点数稼ぎなのか帆高を説得しようと取り押さえ、警察が取り囲むと今度は帆高に「行け」と叫んで一人警察と敵対するって……。芯がなくブレやすいのも現代社会の大人なのかもしれないが、エンターテイメントとしてはもう少し芯の強さが欲しかった。
・夏美
必要性の薄いキャラ。前作だと大人の女性というのはある種の意味があったわけだけど、今作では意味がないからなぁ、と。正直、夏美不在にして夏美が終盤やったカーチェイスを須賀が代わりにやって、最後に鳥居にくぐるまでに警察にも介入させずにあっさり行かせた方がテンポ的には良かった気さえする。
・その他
主要な部分で言うと、陽菜の弟・凪が割と良いキャラだったかなと思う。あとは『君の名は。』から瀧、三葉らがゲスト出演し、佐倉絢音さん、花澤香奈さんが同名のキャラとしてちょい出していることか。ファンサービス精神はいっぱいあるけれど、それが作品にとってプラスかどうかというのは微妙かな。
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【作画】
前作から絶賛された作画は相変わらずのクオリティ。三年という歳月による進化を感じさせた。特に「雨」「天気」が主題の作品だけに、そういった作画の良さというかクオリティの高さがより一層如実に現れている。
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【音楽】
今作も、RADWIMPSが担当。構想期間が長く、初期段階から携わっているだけあってそのマッチングの度合いは高い。
一方でキャスト面には難がある。ジブリ映画のように俳優中心のキャスティング。そこに意味や意図が生まれるならともかく、正直そういった必要性があるから俳優を選んだとは言い難い形。
申し訳ないが、須賀役小栗さん、夏美役本田さんは声優やるレベルに感じなかった。この二人のキャスティングが、声優じゃないにせよもっと声による演技が出来る俳優さんだったならもっとまともに聞けただろう。
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【テーマ】
作品的なテーマというのは、割といろいろ取り入れているので人によってくみ取り方もまた違ってくるかな、と言う印象。多様性と言う意味では成功しているだろう(裏を返せばあれこれあり過ぎて、焦点が分散してしまっているが)。そこに賛否があることも、一部インタビューや記事によると新海監督の狙い通りのようでもある。
個人的には「人は所詮、自分勝手で傲慢な生き物なんだ。天気や環境をコントロールできるなんて烏滸がましい」ということだと想う。結局、突き詰めていくと帆高も、陽菜も、須賀も、夏美も、名もなきモブキャラもみんな自分勝手。それは現代社会に通じる部分でもある。SNSの発達と普及によって、人々は自分の意見を言えるようになったし、そのせいで「周囲への気遣い」よりも「言ったもんがち」な風潮が強くなり、それを人々はむしろ「良く言った」と称賛する。でもそれはホントにそうか? みんなが強調することよりも主張したもん勝ちな世の中を、端的に言えば「自分勝手」なんだということ。そう言った現代の自分勝手な日本人たちがキャラクターとなったら、こういうストーリーになるんだな、と。
それはリアリティとしては「有り」なんだろう。
ただ、それは現実を映しているだけだ。その先にじゃあ何を望むのかというものがこの作品には見えない。ラストで「自分勝手だって良い」「世界は狂ってる。お前たちのせいじゃない」みたいなことを言われるんだけど、それは「望むもの」とは言い難い。「じゃあ、何が言いたいの?」という部分がない。
リアリティはアリ。けれど、エンターテイメントや訴えかけ(情報発信)としてはナシ。
そんな感じが強い。
一方で、一貫していた要素は「代価」かなとも思う。陽菜が晴れることの代価として空に溶けたことも、帆高が家出などさまざまな代価がこのストーリーの流れやあの結末であるとするなら「代価」「代償」というものは確かに描かれていたんだと思う。
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【改善要素は?】
結論を端的に言えば、「真っ当な大人の存在」だと思う。
例えば刑事たち。帆高の対応が悪かったこともあるが、もしあの刑事たちの誰か一人でもちゃんと帆高の「陽菜を助けにいきたい」という話に向き合って「じゃあ俺が付き合ってやる。違法行為でもなく逃げる気ないなら俺が一緒でも問題ないだろ。で、やり残したことやったなら取り調べ受けて、親御さんとこ帰ってもらうぞ」と言える刑事がいたなら、もっと良かったはずだ(須賀がダメダメななので余計に)。
あるいは須賀。前述のようにふらふらさせ続けないで、陽菜が人柱を知った後に夏美に代わりカーチェースをして帆高を廃ビルに送り届ける役目を彼が担えていたならもっと印象は違っていただろう。
結局、これがアニメーションであり、前作のこともあって注目度が高く、子供たちも大勢観るだろうという意識がこの作品からは欠落している。これを見てじゃあ子供たちがどう思うか。それを考えた時、私ならこんな自分勝手な人たちの世の中でも、他人を思いやれる大人がいるんだということを提示したいと思う。しかし、この作品にはそれがない。夏美もいるけど、彼女はある意味タダのセクシー要員とアッシー(タクシー)要員で終わってしまっている。
真っ当な大人、あるいはカッコいい大人。そんな大人をフィクション、ファンタジーな作品の中で描けない作品というのは子供だけのものではないとはいえまだまだ子供の方が取っ掛かりの強いアニメーションエンターテイメントとしては疑問が残った。
余談だが、エンディングでは帆高と凪の対面が欲しかった。帆高と須賀の対面なんて要らないから、帆高と凪の会話が欲しかった。「帆高、お前のせいだからな。姉ちゃんが消えたのは」といった凪。もちろんそこには「だからお前が取り戻してこい」という想いもあったのだと思うけれど、そう言われて奮起しながらも世界を変え、一度は好きな人を消してしまった帆高がその後三年間、陽菜たちと連絡を取っていなかったらしいことを考えると、凪との対面と会話というのは彼の物語を進めて終わりを迎えさせる上では須賀との対面より必要だった気はしている。
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評価は★★★(3点 / 5点)。作画のクオリティの高さと音楽面のシンクロ率の高さは前作同様「映画と言うよりミュージックビデオ」という感じ。ただ前作に比べると、それ以外の要素が劣化した感じが強い。なんだかんだで『君の名は。』の時はもう一度観たいかもと思えたが、今作は「もう一度観たいか」と問われれば「もう観たいとは思えない」と言うだろう。
同時に、前述のように子供に勧められないアニメだと思う。子供に希望を持たせられないようなアニメは、アニメが子供だけのものではなかったとしてもダメなんだと思う。
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