新元号「令和」
さすがに翌日に他案があっさりと暴露されてしまう辺りには政府関係者とやらの口の緩さ、情報漏えいと言う点で大きな不安が残りますが(他案が将来的に元号として採用されないとは限らないはずでは?)、まぁ無難なところかなというのが正直なところです。
さて、この手の話題で必ず出てくるのは「元号は必要なのか?」ということ。西暦が世界各国で一般化している現代において、元号の持つ意味とはどれほどのものなのか。
今回の新元号(厳密に言うならば、現皇太子が5月1日に新天皇に即位されることに併せて改訂される元号を、国民生活に配慮して4月1日に事前発表されたわけなので、あくまで本質は現天皇陛下の退位と新天皇陛下の即位なのだが)報道によって自分も改めて知ったのだけれど、実は「元号という制度をとっている国は世界で日本だけ」ということは知っておくべきことな気がする。
もちろん「グローバル化なこの時代に日本だけだから何?」と言われればそれも一理ある。でも、逆に言えば「日本」らしさって何かとも思うし、考えないといけない。何でもかんでも世界基準。国内で都合の悪いことが起きると、たいてい「いや、世界はこうだ」「西欧はこういう制度だ」と言う輩がいるのはその典型例だろう。「じゃあ日本って何?」「日本人って何?」私は常々そう思う。他国、他文化の良いところはもちろん取り入れるべきだと思うが、何でもかんでも基準を他に(世界に)求めてしまう今の日本人もどうかと思う。自分たちが積み重ねてきた歴史や価値観に正しさを覚えられない民族に正直情けなさも覚える。
そうは言っても、道徳的に「いや、これダメだろ」と思っても世界基準が「シロ」といえば「シロ」になるような時代だ。そう遠くない未来、いずれ国家と言う枠組みも消えるのかもしれない。
ただそれは将来の話。今を生きる者として、過去はそう簡単に切り捨てて良いものではないと思う。旧い考えなのだろうが、今の私たちや日本があるのも、過去の祖先たちの成功と失敗の積み重ねである。1300年近く続く元号とはその象徴のようなものなのかもしれない。
古く続くものが正しいわけではない。けれど1300年の重みを「西暦の方が便利だから」のひと言で片付けることには疑問がある。「既存を壊して変えます」「改革します」 それらは言葉にすれば、耳障りは良いだろう。でも、それが本当に正しいことなのか。旧く続く伝統は全てが悪いことなのか。
元号が変わる。日本国民にとってこれは大きなことだと思う。だからこそ、この二日間ひたすらメディアやネットは賛否含めて騒ぎまくっている。だからこそ、これを経験出来る子供たちにはこういったことを改めて考えて欲しいと願う。
NoTitle
>自分たちが積み重ねてきた歴史や価値観に正しさを覚えられない
>民族に正直情けなさも覚える。
月詠さんもそう思いますか。
先の大戦以来GHQがウソの歴史を押し付けて反日教育してますからね。
その弊害がでてきたんでしょう。
まあ今はネットで調べればいくらでも真実がわかりますが。
>いずれ国家と言う枠組みも消えるのかもしれない。
世界統一政府を作ろうと望む勢力もいますがどうでしょうかね。
>旧く続く伝統は全てが悪いことなのか。
元号が使っているのが世界で日本だけとは知りませんでしたが、
伝統は大事にするべきだと思います。
グローバル・スタンダードとかいってなんでも欧米に
合わせればいいというものではないと思います。
「元号」も「天皇制」も大事にすべきだと思います。