地獄少女 二籠 考察「地獄通信について」
以下、あくまで私の推論であり、断言するものではないことを注意して下さい。おまけに第一期をほとんど観ていないので、第一期分の知識が欠けている状態での推論です。
まぁ、おそらく穴だらけとなるであろう私の推論ですが、少しでも面白いと思っていただけたり、共感していただける部分があれば、転用してもらって構いません(ただ、転用の場合はTBをいただけると、私もそれを拝見させていただくことでより多くの方の見解を窺い知れるので、TBはお願い致します)。
では、続きはOPENからどうぞ。
1)地獄通信とは
確認事項のようなものですが、私が二籠を観ていた限りでは、こんな感じではないかと思います。
『午前0時にアクセスすると繋がるWebサイト。そこに怨みの相手の名前を書き込み、送信することで地獄少女が現れ、渡される藁人形についている紅い絃を解くことで契約が成立すると怨みの相手は即座に地獄に流される仕組みになっている。ただし、地獄通信にアクセスするには地獄に流したい相手に対する強い怨みがなければアクセス出来ない。』
あい側から記述すれば以下のような感じ。
『何らかの目的で行っている地獄流しを実行するため、依頼人から連絡を受けるための手段。過去に、絵馬、新聞の広告欄などを利用していたこともあり、その時代時代によって適切と思われるものを選び、連絡手段としていると思われる。』
以上の事実を共有した上で、考察していきます。
2)「連鎖」から見る地獄通信とあいの関係
「連鎖」に声と文章のみの登場となった柴田一の本の記述によれば、
『地獄通信に名前が書き込まれると、 閻魔あいのパソコンに連絡が入る。彼女はそこから様々な情報を読み取り、依頼を受けるかどうか判断する』(Blog『月の静寂、星の歌』様の感想記事より引用)
とあります。
私は第一期を観ていないので、一のこの記述がどこまで事実に基づくものなのかは解らないが、この説明だけならば閻魔あいは自らの意思で依頼を受けるか否かを決めているように見える。
確かに、二籠の中でも正式な依頼はまだでもあいや三藁が候補者やその周辺を調査する状況が実際にあったことを考えると、一のこの記述は正しい。
ただ今回の「連鎖」において、あいはあまりに多く依頼を執行していくことに対して不安を覚える三藁(と言うか骨女や一目連。輪入道に関しては、地獄流しをすることであいが「お役目」を終えることに近づくとして劇中ではあまりそのような感じを見せなかった)に、「私は依頼を受けるだけ。決めるのは依頼人」と依頼受理の判断を放棄し、片っぱしから依頼を受けているようにも思え、一の記述のままだとあいの職務(?)放棄に見えてしまう。
3)私論「地獄通信とあい」
3-1)地獄通信への接続可否
結論から言えば「あいに依頼を受けるか否かの判断権は事実上ない」と考えています。
まず、その理由の1つとして地獄通信への接続可能状況が挙げられる。基本的に地獄通信への接続可否は、依頼人の怨みの強さによって足きりされている状況だと考えられる。つまり、その時点で依頼人はふるいにかけられているわけだ。ふるいにかけられた結果、残った強い怨みを持つ者のみがあいのPCに送信されるのだとしたら、それはあいの知らぬところで行われるわけだから、あいに判別する権利はない。
例外的にサイトへアクセス出来ない者に対して調査が行われたり、あるいは偽の地獄通信についての調査が行われるなど、サイトへ接続に関わらない部分でもあいもしくは三藁が動く話もあったが、だからと言って、「あいのPCに地獄通信へアクセスしようとした形跡のあるものすべてが送信され、その中であいが依頼を判別している」とは考えづらい。
なぜなら、いくら地獄少女が都市伝説とは言え、サイトへのアクセス形跡がすべて送信されていたのでは、さすがに手が回らなくなると考えられるからだ。物語の都合上なのかもしれないが、たいていどこの地域のどの話でも地獄少女の都市伝説は、依頼人あるいはその周囲の人間が必ず知っていた。その状況を踏まえれば、少なくとも日本で「地獄少女」と言う存在を(信じているか否かは別として)知っている人の数はかなりのものと推察出来る。それに関する本も、少なからずあるわけだし、これだけ有名だと面白半分でアクセスしようとする者も少なくないだろう。私たちが観ているのは、あいたちが受けている数多の依頼のうちのほんの一部だと考えると、なおのことサイトで地獄流しに相応しいだけの怨みの念を持つかどうか、判別されていると考える方が自然だ。
これらの状況を考えると、依頼人とあいの間の仲介的存在であるサイトあるいはサイトを管理する何者かが依頼人の選別をし、あいに紹介していると考えた方が妥当。
3-2)藁人形を渡す行動の儀式化
また、あいは「連鎖」の中でこのように発言している。
『……依頼があれば受ける。それだけ。後は、あの町の人たちが決めること……』(Blog『月の静寂、星の歌』様の感想記事より引用)
重要なのは前半部分。「依頼」とは当然、地獄流しの依頼だが、このセリフはあいが暗に自分が能動的に依頼を受けているのではなく、受動的に依頼を受けていることを意味している。
その証拠に地獄通信へアクセス出来、名前を送信されたら藁人形を渡すのは二籠を観る限りでは決定事項であり、すでに必ず行う儀式化している。相手方から、注意事項をあいから聞かされて拒否する場合は別だが、あい自身に藁人形を渡すかどうかの判断は許されていない。
以上、サイトへの接続可否の状況と藁人形を渡すことが決まった儀式に近い決定事項と言うことから、あいに依頼選択の判断する権力は事実上存在しない、と私は考えています。
4)終わりに
では、地獄通信はあいにとってどのような存在なのか、ラブリーヒルズでの一連の事件について最後に推論で述べて終わりにさせていただこうと思います。
まず、あいにとって地獄通信(サイト)は自分のやるべき依頼を仲介してくれるマネージメントをする存在だと言うことです。あいはそこからPCに送られてくる依頼をこなす執行者。
「連鎖」のようなラブリーヒルズの一連の事件は、サイトあるいはサイトを管理する者が依頼を受けるハードルを何らかの理由で下げたために起きた集団乱発現象が起きているものだと考えています。
だからあいは、拓真に接触して「もうあなただけの問題ではないわ」「どうして(地獄通信について)話さなかったの?」とアドバイスをすることしか出来ない。なぜなら、あいは拓真に「君が依頼を受けなければいいことじゃないか!」と言われても、拓真の言うように依頼を受けないと言うことが許されていない執行者だから。
だから、あいは依頼を受ければ執行者としてそれを完遂するしかない。その行動が輪入道の言う「お嬢の役目」なのでしょう。その役目を、サイトあるいはサイトの管理人が認めた時、あいはこの職務から解放されるなり、何かが待っている。あいは、それを得るための執行者だと考えられます。
次回、二籠最終話ですが、「連鎖」の記事でも書いたように、そろそろあい自身が依頼を受けるか否かを、サイトの決定に逆らってでも決めて良い頃合いなのではないかと思います。まぁ、この部分は多分にあいや拓真への感情移入ですが( ̄∇ ̄;)
それでは、このような乱文で失礼しました。もし、これをご覧になった方に何かしらの参考になっていれば幸いです。
<参照URL>
・http://blog.livedoor.jp/natsu_ki00/archives/50498394.html
すいませーん、そしてありがとうございます。
そして読み応えのある考察をありがとうございました。
でも「連鎖」の感想記事を読んで、なるほどと思ったもので。
一連のストーリーの“怨み”のレベルが下がっている理由としては、月詠さんの考え方は筋が通っていると思います。
ただものすごーく正直に言わせてもらえば、管理者があいか、そうでないか、どちらであろうとも、製作者はそんなに考えてないんじゃないかなぁと思っているのですよ。
ただただ拓真を中心に据えた、ラブリーヒルズの人間達のストーリーが描きたいんじゃないか、と。
と言うのは、管理者が誰であろうとも、突然のこの“怨み”のレベル落ちの説明が、ほのめかしでも一切入っていないので。
これが例えば管理者が閻魔大王で、レベル落ちは単なる気まぐれ、だとしても、私は納得できるんですけどね。
ただ製作者がどうであろうと、TVで放映された以上、視聴者はそれを補う想像を働かせる自由はあるわけで、そうなると、埋める部分としては、月詠さんの考察が、私としてはすっきりできます。
どちらにしても、次回のストーリー展開で分かりますね。
記事を書きましたら、TBさせていただきます。
よろしくお願いします。
月詠さんの次回の感想を楽しみにお待ちしてます。