ラプラスの魔女

著:東野 圭吾 発行元(出版): KADOKAWA
≪あらすじ≫
ある地方の温泉地で硫化水素中毒による死亡事故が発生した。地球化学の研究者・青江が警察の依頼で事故現場に赴くと若い女の姿があった。彼女はひとりの青年の行方を追っているようだった。2か月後、遠く離れた別の温泉地でも同じような中毒事故が起こる。ふたりの被害者に共通点はあるのか。調査のため青江が現地を訪れると、またも例の彼女がそこにいた。困惑する青江の前で、彼女は次々と不思議な“力”を発揮し始める。
(裏表紙より抜粋)
感想は追記からどうぞ。
≪感想≫
東野圭吾さんの作品。単行本で出たものを文庫化したもので、おそらくシリーズ作が出るための側面があるのだろう。
東野圭吾さんの作品の中では、類似した作品としてはガリレオシリーズに近い部分がある、「物理学的に理論上可能だけど、それが現実として実際に出来るかは未知数」的な感じが強い作品。ただガリレオシリーズに比べると「ミステリ」というよりは「SF」かな。
率直なところとしては、設定として否定するつもりはないけれど物語構成はもう少しどうにかならなかったのかな、といったところが本音である。
ラプラスの悪魔(魔女)とされる能力を、偶発的に発現しその後に再現性によって生み出された少年少女。そこをベースにするのは構わないと思うが、それがじゃあ物語に活かされていたかというとちょっと微妙なところ。もう少しタイトル通り、ラプラスの魔女が話のメインにあって欲しかったな、と。もちろんトリック面などを踏まえればラプラスの魔女や、あるいはラプラスの悪魔が中心にはいたけれど、語り方としてはそうではなかった。
単純に言えば視点切り替えが多すぎると思った。場面ごとに一人称の語り手がコロコロと変わり過ぎててどうなんだろう? と。正直、若干読みづらかった。そうしないと伝えきれない部分は確かにあったのだと理解も示すが……。
ストーリー面で言えば、もうちょっと結末はちゃんとやって欲しかったかな、というのが本音。なんか全てが有耶無耶で終わってしまった感じが強すぎる。
ただ、ストーリー面で言いたいことはそこに本来あるべきテーマ性の部分を今作の批評としては語っておきたい。
読み終えた時に感じたこと――それは「この作品、誰も他人を信頼してないし、誰も他人を信用してないな」ということだった。それは正直人として哀しいし、惨めだな、と。主要人物のほとんどが他人を信用してない。主演の一人である青江は最後まで円華や彼女の取り巻きである玲らを信用してなかった。円華たちも青江をたぶん信用も信頼もしてない。それは真犯人もそうだし、すべての元凶もそうだし、追跡していた刑事もそうだった。誰もが誰も信用も信頼もしてない本を読まされたことは、結末が有耶無耶な以上にモヤモヤした不完全燃焼で終わった。
それってとても悲しくて寂しいことだと思う。この作品は最初から最後まで誰も他人を信用してない。そしてそれは誰も他人を信用する努力も、信用してもらう努力もしてないというだ。群れとして社会で生きているはずの人間は、他者との関係は大事なのにそれを作る努力を誰もしてないのが辛い。
著者はこういうことを意図的に描いていたのだろうか。それとも結果的にこうなってしまっただけなのか。意図していたならどうしてこんな誰も信用せず誰も信頼しないような人間関係を描いたのか、描く必要性があったのかというのが最後まで疑問だった。
あと、細かいところで言えば青江の家族関係の冷たさを描いた理由がイマイチ不明。青江そのものや彼の家族関係含めて、この本の中で始まった時と終わった時で誰の心理状態にも成長も変化もない。そこもまた疑問点である。
評価は、★★(2点 / 5点)。アイディアとしては面白いのかもしれないが、テーマやストーリー面において大いに疑問しか残らない作品だった。もう少しブラッシュアップする必要があったのではないか。
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