Fate/Apocrypha 19.5話 感想
- ジャンル:[アニメ・コミック]
- テーマ:[Fate/Apocrypha]
※原作ネタバレ、補足コメント等は極力避けていただければ幸いです。その後のストーリーで分かることなら取り立てて補足は不要です
今回は総集編でした。なので今回は、アニメにおける総集編についてちょっとばかり浅慮ながら考えてみたいと思います。
総集編が導入される意義や意味はどういったものなのでしょうか。
まず、肯定的に捉えるならば視聴者にとって情報整理の回、ということになるのでしょう。勧善懲悪がハッキリしていない作品――それこそ、本作のような作品において情報の整理というのは視聴者が物語を理解する上でプラスになることは間違いありません。原作作品においては誰も彼もが原作既読ではないわけで、仮に総集編に本編では入れられなかった補足情報を入れることが出来たのであれば、その存在意義はさらに高まるでしょう。
一方で否定的に捉えるならばスタッフの手休め回、という認識を視聴者としては抱いてしまうわけです。もちろん総集編だって全く編集やアフレコ等の手間が入っていないわけではありません。ただ、新規で作画していく工程に比べれば幾分か負担は軽く、高いクオリティを(特に物語終盤において)維持しようと考えた時には、製作サイドとしては欲しい「余分」なのかもしれない、と考えられます。
総集編というスタイルは決して今になって始まったものではありません。昔からそれはありました。ただその多くは4クール(1年)以上やっていたアニメにおいて、1~2回というのがうろ覚えの幼い記憶です。現在のように2クール、下手すれば1クールの作品で総集編が入るというのはあまり記憶にはありません。
それだけ数え切れないほど多数のアニメが1クールの間に放映されて労力が分散されているともいえますし、昔に比べて各種デジタル化が進んでいる側面がありながらもブラックとも揶揄されるアニメ業界において労力不足が否めないのだとも考えられます。
現在のアニメ業界における対処法は主だって二つでしょう。一つは総集編を入れる。もう一つは、分割2クールと言う形にする。どちらが適した形なのか、というのは賛否両論いろいろあることでしょう。
ただ、一つの作品として考えた時に私は総集編を入れなくてはいけなくても連続で2クールやる姿勢の方を応援したいと考えます。分割した方が総集編を入れるよりも時間は稼げてクオリティは維持出来るかもしれません。ただ、1クールないし2クール期間が「空く」というのは視聴者にとってはデメリットの方があまりに大きいと感じるのです。アニメを見ることも熱量が必要なのです。まして今はアニメ放映数が多い。そうした中で期間があまりに開いてしまうのは熱量が下がり過ぎてしまうと思うのです。
視聴者がモチベーションを保ったまま最後までアニメを完走することを含めると、連続放映がベターかな、と。ufoがZeroやUBWで用いた分割制ではなく総集編制によって突き進むApocryphaが、よりよい形で最終回を迎えられることをただ祈るばかりです。
といったところで以下、次回。
Comment
Comment_form