ソード・オラトリア 第11話
- ジャンル:[アニメ・コミック]
- テーマ:[ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか]
『冒険と未知』
中層の怪物、ミノタウロスを撃破したレベル1の冒険者ベル・クラネル――駆け出しの少年が見せた、苛烈な『冒険』は【ロキ・ファミリア】の幹部たちにも少なからず影響を及ぼしていた。
尊敬する先達を触発してしまうほどの『偉業』。少年を好敵手としていたレフィーヤの心情は穏やかではない。だが、今はまだ、誰かと比較している場合ではないと、レフィーヤは思い直す。追いつきたい人たちがいる――自分もまた『冒険』の真っ只中であるのだと。
各々の思いを胸に抱きつつ【ロキ・ファミリア】は潜り続ける、レヴィスが示した深層『59階層』を目指して――。
(公式HP STORYより抜粋)
≪感想≫
◆常に戦うのは自分、そして負けたくない相手
某有名ゲームの台詞「お前にとって戦う相手とは、自身のイメージに他ならない」ではないが、今回のレフィーヤの辿り着いた答えはつまるところ、そういうことだ。
目指すべき人たちがいる。まだ自分はその人たちの領域に辿り着いておらず、わき目を振ってライバルと自分を比較している余裕なんて最初からない。ただ前を向いて目指すべき場所のために進み続ける。ある意味で、ベルと同じ答えをこの段階で同じくアイズに憧れる少女は出したわけだ。
実際、その答えは尊ぶべきものだろう。他者との比較なんてものは、突き詰めれば所詮は相対的な評価に過ぎない。例えばテストで50点だった自分。その点数だけみればテスト全体の半分しか正解していないことになる。だが、もしもそのテストの平均点が30点だったとしたら、50点でも平均点を20点も超えていることになる。だが、それは所詮同じテストを受けた他の人たちとの評価に過ぎず、テストと自分との点数を見れば先にも挙げたように半分しか正解できていない。
平均点超えたからOKと楽観的になるのと、半分しか正解出来ていないと悔やみ悲観的になること。どちらが人の精神として貴いか、なんてものは理想で言えば問うまでもない。
そんなものは詭弁だ……と思う人もいるだろう。私自身それでも構わないと思う。こんなことを書く私だけど、他者の目を全く気にしていないかといえば、そんなことはない。学生時代はテストの点数は他人との対比をしていたし、社会人になってからもノルマだったり、あるいは数値化出来ない部分でも他者と自分との評価は常に気にしてしまっている。「良い仕事さえすれば、他人なんてどうでもいい」という領域には到達していない。
人間は集団の中で生きている。組織の中で生きている。社会の中で生きている。常に他者がいて、その他者の下す評価を視て自分を再評価、ないし客観視しているのだと思う。「高みを目指す」という点において時に他者の評価を気にすることは足を引っ張ることでしかない時もある。けれど、他者という名の比べられる対象がいること、より突き詰めれば好敵手、ライバルと呼べる人がいることは切磋琢磨し合い、自分を高みへと押し上げてくれる一因になる時もある。
レフィーヤにとってこの『ソード・オラトリア』がどういうストーリーだったのか、と問われれば、こう答えるだろう。「目指すべき目標があって、唐突に同じ目標を目指すライバルと切磋琢磨し合いながら、改めてライバルに勝つことではなく目標へ辿り着くことを再確認するストーリー」と。
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- at 19:53
- [アニメ(放送終了):ソード・オラトリア ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか外伝]
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- [Edit]
NoTitle
レヴィス(CV大原さやか)の所の黒ローブで仮面の人
とは、ぱっと見た感じ似てますが別人です
わかりずらいですが仮面のある無しで見わけがつきます
あと声優も別の人のようです