すべてがFになる THE PERFECT INSIDER

著:森 博嗣 発行元(出版): 講談社
≪あらすじ≫
14歳のとき両親殺害の罪に問われ、外界との交流を拒んで孤島の研究施設に閉じこもった天才工学博士、真賀田四季。教え子の西之園萌絵とともに、島を訪ねたN大学工学部助教授、犀川創平は一週間、外部との交信を断っていた博士の部屋に入ろうとした。その瞬間、進み出てきたのはウェディングドレスを着た女の死体。そして、部屋に残されていたコンピュータのディスプレイに記されていたのは「すべてがFになる」という意味不明の言葉だった。
(BOOK データベースより抜粋)
感想は追記からどうぞ。
≪感想≫
ドラマ化、さらに前期にはテレビアニメ化された『すべてがFになる』の原点となった作品の文庫版。
私は基本的にアニメを視た後に、原作作品に手を出すということがそんなに多いタイプの人間ではない。それはきっとすでに盛大な「ネタバレ」をこの目で確かめているからであり、結末やオチが分かっている作品をもう一度最初から読みたいとは思わないからなのだと考えている。
ただ、それでも全くないわけではなく、『すべてがFになる』に関してはテレビアニメだけでは不明瞭というか、私の理解力不足で分からない部分もあったので、それを保管したい想いもあって手に取った。
内容やオチに関してはテレビアニメ版で毎週短評をブログにも挙げていたので割愛させていただくとして、改めて「原作既読」の立場になった上で、アニメとの差異などをここでは少しばかり挙げて行きたい。
最大の違いは、副所長だった山根さんの生存だろう。小説版(というか、こちらが原作だが)ではレッドマジック内の時間カウントにいち早く(それこそ犀川先生よりも早く)気付いて、あの真賀田四季すらも予想外だったスピードでレッドマジックを諦めて通常のシステム(作中内UNIX)に切り変えようとしたため、殺されてしまった。
これの有無が、割と原作小説とアニメ版の印象を個人的に大きく変えていると思う。原作小説だと、天才と呼ばれた真賀田四季だろうといざ計画を実行に移せば予想外のことが起きるのだという現実の無常さというか、天才の限界みたいなものをわずかながらに感じてしまった。一方で先にアニメ版を観ていたためか、アニメ版の方が真賀田四季の完璧さというか天才っぷりがより顕著だったのかな、と。
ある意味で予想外のことに対して「気付いてしまった人(障害)を排除する(殺害する)」という手段を取った小説版の真賀田四季は人間味を感じられ、一方で「誰にも気づかせずに計画を完遂した」というアニメ版の真賀田四季からは人間味がそぎ落とされて本当の意味で常人とは価値観も倫理観も常識も道徳すらも違う、別次元の生命体なのだな、と。
他にも映像化されるにあたって地の文が削られているアニメ版だが、一方で映像化されることによって文章説明よりも分かりやすい部分や意図的にそうしている演出もあって、改めて良い作品だったと思えたとか、犀川先生の中にも多数の人格があるっぽい描写が好きとかそういうところか。
けれどやっぱりここが大きな違いであり、印象を変えているかな。どちらが良いという感じではない。個人的な趣向での好みを述べさせてもらうなら、アニメ版の方が真賀田四季の異質さというか天才っぷりが感じられて好きってくらい。
評価は、★★★★(4点 / 5点)。
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