新機動戦記ガンダムW フローズン・ティアドロップ 11巻「邂逅の協奏曲 (中)」
- ジャンル:[アニメ・コミック]
- テーマ:[新機動戦記ガンダムW]

≪あらすじ≫
囚われの身となったゼクスは、アイン・ユイと名乗る男と出会い、未来予測が可能なシステム“ZERO”を託される。
起動させられるのはゼクスのみ。
ゼクスは、ある人を救うためにシステムを使うことを決意する。
感想は続きからどうぞ。
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≪感想≫
11巻は主に過去編に終始する内容だった。
サリィと妹蘭のデータがなかったためにファイルが完全版ではなかった、ということらしい。まぁ、「データがなかったために間違ってました」というと「じゃあ何のために過去編だったんだよ」ってことになると思うので、そこは「情報が足りなかったからファイルデータも足りないものになってしまった」という部分に落ち着いたのだろう。
ただ、過去編としては正直それほど目を見張るような内容があったわけではない。例えば死んだはずのアイン・ユイが実は生きて居たり、指導者ヒイロ・ユイがイオリア・シュヘンヴェルグみたいにガラスの棺桶で冷凍保存されていたり、ZEROシステム本来の設定を無視していたりと(まぁ、ガンダム世界の設定なんて後付けが「上書き」みたいに公式化していく都合のいい作品なのは今更だが)。
まぁ、二次創作ならなぁ、とは改めて思う。これを公式にやってしまうのは今になってどれだけ意味のあることだったのか、と。全く違う作品だけど、七月から実写ドラマで改めて『デスノート』が始まるわけだけど、キャラ設定を変えすぎていて「それならキャラ刷新してやった方が良い」という声が少なからず放送前からあるようで、それには「なるほど」と思ったし、それと同じことがたぶんずっと前からこの作品にも当てはまっている。
巻末のコメントを読ませていただく限りでは、近々にガンダムエース本誌での連載は終わるようだ。それがちゃんとした終わりになるのか、打ち切り的な終わりになるのかは定かではないが、どちらにせよこの残り少ない部分での挽回はかなり難しいだろう。正直、「この内容ならない方がよかった」というWファンも少なくない気もするが……まぁ、ここまで来たら最後まで付き合いたい。
さて、余談だが『敗者たちの栄光』の九巻感想を簡単に。

流れ的にはヒイロがウイングガンダムでルクセンブルクに到着して戦う前後を描いている。
良かった点は、メッサーツバーグがかなりド派手に描かれている点、か。それが良いか悪いかってのはまたあるだろうが、とりあえずバスターライフルという兵器を考えた時に派手なら派手な方が良いと思ったので。
悪かった点は、プロトゼロをEWゼロに持っていく流れが最悪だったこと。プロトゼロという存在を、まぁ百歩譲って許したとしてあそこまでデザインの違うゼロをEWゼロにするには相応の流れが必要だったはずだ。だからこそ、EWゼロの背部バインダーは、推進機器の権威であるハワードが新たに開発したウイングバインダーを装備したトールギスFを先に出すことでEWゼロへの繋がりを見せたわけだ。
だが、肝心の機体デザインはどうだろうか? EWゼロはEWウイングとその外観はほぼ酷似していると言っていい。一方でどちらもプロトゼロからは大きくかけ離れている。これが何を意味するかと言えば、当然EWゼロを完成させるためには、プロトゼロという素体に対してトールギスFのウイングバインダーを併せるだけでは足りず、外観をウイングを掛け合わせなければならないはずだった。
ならばそこに例えばゼクスが自爆したウイングガンダムを修理した際の予備パーツを極秘裏に回収していたとか、そうじゃなくてもウイングガンダムの修理データを持っていてそれを基にハワードが外装パーツを建造したとかそういう「理由づけ」が必要だったんじゃないか。さすがにウイングガンダムには、トレーズの乗るトールギスIIを庇うと言う最後の役目がTV版と同じ流れならあるはずだから、「本家ウイングのパーツを分解して流用した」っていうことは出来なかったのだろうが、それにしたって半壊したプロトゼロが次の回では何の説明もなしにEWゼロに変貌している姿には正直失望した。
NoTitle
ただウイングガンダムスキーとしてはドライツバーグ無双はド派手で良かったです。TVのルクセンブルクはあっさりしていたので。
しかしトールギスF、プロトゼロ自爆と来た割には一気に描写が雑になった感があります。今後回想でゼクスの手持ちデータを使う、とか説明があればいいんですが、もしかしてFTだけでなく敗者も連載が危ないんでしょうか。。。