禁断の魔術

著:東野 圭吾 発行元(出版):文春文庫(文藝春秋)
≪あらすじ≫
高校の物理研究会で湯川の後輩にあたる古芝伸吾は、育ての親だった姉が亡くなって帝都大を中退し町工場で働いていた。ある日、フリーライターが殺された。彼は代議士の大賀を追っており、また大賀の担当の新聞記者が伸吾の姉だったことが判明する。伸吾が失踪し、湯川は伸吾のある“企み”に気づくが…。シリーズ最高傑作!
(文庫本裏表紙より抜粋)
感想は追記からどうぞ。
≪感想≫
シリーズ最高傑作、シリーズ最高のガリレオがここにいるといううたい文句を日々書店で観続けた結果、手に取ってしまった一冊。
実際問題としてシリーズ最高傑作かどうかは正直微妙なところでもあると思う。私自身、ガリレオ全シリーズを読んでいるわけではないので一概には言えないものの、トリックらしいトリックはないに等しく、犯行に一般人が知らないような物理学や科学が用いられたわけでもない。「殺人事件」を解くことに限定すれば湯川でなくても良かった。
一方で、ガリレオとしてシリーズ最高のキャラクターが描かれているのかと言えば、その可能性は高いと思っている。
科学の進歩。技術の発展。そこに戦争が絡むことは疑いようのない事実だ。そうした中で湯川はそれでも「科学」をしっかりと信じている。科学そのものに罪はなく、それを扱う人間の未熟さこそが罪である、とまぁそんな感じ。優れた科学があればそれを同族殺し(人類という同じ種族殺し)に積極的に利用しようとする。そういう部分で人類という生物がどれだけ愚かか。いや、さすがにここまでは本編中では書かれてなかったけどね。
話を戻すと、湯川は科学そのものに罪はなく、それを扱う人、そして科学を教えた人にこそ責任があるのだと考えている。最後のシーン、湯川はたぶん古芝がそれでも撃つのだと覚悟すればおそらくレールガンの発射スイッチを押したと私も思う。それが――レールガンという「科学」を「兵器」にしてしまい、人を殺し、それを世間に公表されてしまうことが良いことではないと分かりながら、それでも古芝という少年にレールガンを、科学を教えた「責任」として、古芝が直接人を殺させない。その「罪」は、科学を技術としても精神としても倫理としても正しく教えることが出来なった自分自身の罪と罰だと湯川は考えていたのだろうし、そういう風に著者も描いたのだろう。
繰り返しになるが、一般人が知らないような科学や物理を用いた殺人やトリックという部分ではそこまでのものがあるわけではない本作かもしれないが、著者のメッセージ性、それを具現化した「湯川」というキャラクターの描き方がたぶんシリーズでもトップクラスの出来なのだろうな、と思った。
評価は、★★★★☆(4.5点 / 5点)。湯川の考え方、その思考と行動が著者の伝えたいこととしっかりと連動しているんじゃないか、と考えさせられる一冊。出来は悪くない。マイナスポイントは、エンターテイメントとして見た時のトリックの甘さというか、この作品らしくもっと物理的・科学的なトリックが欲しかったという感じ。
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