ガンダム Gのレコンギスタ 第25話
『死線を越えて』
≪あらすじ≫
パーフェクトバックパック装備のG-セルフで出撃するベルリ。その眼前に立ち塞がるマスクのカバカーリーとマニィのジーラッハ。ビーナス・グロゥブの新型モビルスーツが乱舞する戦場は重力に引かれ大気圏の灼熱地獄に突入する。
(公式HP World Storyより抜粋)
≪感想≫
女であることを選ぶマニィ
ベルリとは仲良く出来ないというマスク(ルイン)に対して、今度は「マスクのために負けてよ」と告げるマニィ。これをどう捉えるか、どう解釈するかというのは人によって微妙な差異はあるが、戦場において「負ける」ということは「死ぬ」ことに等しい……はずなんだよね(苦笑
正直、負け続けのマスクがこうして今なお生き残っている現状やマニィの周囲の人間の生存率を考えると、あんまりマニィが「負け=死」ということを意識していた感じはないんだけど。
だからこそ、その逆にマニィは「相手を負かすこと=相手を殺していること」という実感も乏しいような気がする。なんというか、彼女が戦っているのはアメリアとか相手のパイロットとか自分を殺そうとするモビルスーツでもなく、バララなのだというのを改めて実感したから。
前はどうだったかはうろ覚えだけど、今はスポーツみたいな感覚。一人でも多く倒せばマスクの傍に居られる。その「一人でも多く倒す」ことが「一人でも多く殺す」ことであると認識しているかはかなりあやふやというか微妙な感じがしていて、そこが戦うことが命を奪うことだと強く実感してそれを表現しているベルリやアイーダたちとの対比を強めていて、余計にマニィが幼く感じる。
いや「幼い」というのとは少し違うか。彼女は、女であろうとしているのだと思う。女として、狙った男の傍にいるためにどうするべきかを考えている感じ。マスクの隣にいるためには、ただ女(異性)であるだけではダメだ。女であってもより強く共に戦える女でないとダメなのだ、と。
ベルリとマニィの関係をどう表現するかが難しいところだが、それでも広義では友人と呼んでいいのだろう。男と友人で男を取る。そんなところがなんとなく、マニィがベルリや、あるいはノレドの友人であることではなく女であることを選んでいるように感じた。
なんとなく宇宙世紀のガンダムシリーズを振り返ると、そういうキャラがいてマニィはそういう系譜なのかな、と。広い意味では例えばカテジナ(V)とか、レコア(Z)とかそんな系譜なのかもしれない。
余談だけど、Gルシファーのコックピットかなり広いね。複座だったのは知っていたけど、その後ろに人が一人立てて着替えるスペースまであるとは……。
なんか物理法則超えてそうだけどw
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