ガンダム Gのレコンギスタ 第23話
『ニュータイプの音』
≪あらすじ≫
フルムーン・シップと接触しようとするマスク。その援軍に出るベッカー部隊。阻止のため動いたアメリア軍とドレット軍は艦隊戦に突入。その戦いに巻き込まれたベルリは、ロックパイのガイトラッシュと対決するが…。
(公式HP World Storyより抜粋)
≪感想≫
ニュータイプの音は、命の散る音なのか。
思い返せば、ニュータイプがその存在を感知するのは宇宙世紀の頃からそういうシーンが多かったよね。もちろん、それだけじゃないけど。
ニュータイプってなんなんだろう、と改めて思う。
もちろん、それは富野監督が示したものこそが「答え」ではあるんだろうけどね。ただ個人的にはこの作品で再びニュータイプという存在をわざわざ扱ったことが驚きだった。
なにせ宇宙世紀という枠から敢えて一つ進んだRCという世界にしたのだから、ニュータイプというものに縛られる必要性も当然なくなったはず。
にも関わらず敢えてニュータイプというものを改めて扱うことを選んだ富野監督の意図とはなんなのだろうか。
富野監督がこれらに関してどのような発言をされているかは分からないが、私はこれが「生命」というものに対する考え方の新しいアプローチなのではないかと感じられた。
もっと簡単に言えば、「生命の大切さを真に理解する者」が新しいニュータイプ論なのかな、と。
今回、ベルリはまず不殺行動に出た。相手の武装だけをビームライフルで撃ち落として無効化させた。だが、それが敵わなかったロックパイに対しては全力を持ってその行動を阻止し、そして撃破・殺害したわけだ。その前段階にビーナス・グロゥブの人が殺されたと言う事実があったとはいえ。
その際、ベルリは強烈な悪寒を覚えた。人を殺したということに対する恐怖だ。生命を――自分と同じ種族の生命を共食いのように自らが生きるため、自らを貫くために奪った事実だ。
それにベルリは恐怖し寒気を感じた。ただこれは今更な感じすらある。これまで彼が殺してきた人の数は一人や二人ではなかったはず。にもかかわず、どうしてベルリはこのようなことになったのだろう。
それはきっとベルリが宇宙に出て、ビーナス・グロゥブや各地を転々とし宇宙で生きる人たちを、宇宙で暮らす人たちを見る中で、宇宙に浮かぶ偽りの大地や偽りの海で生きる人たちやそれを守るために自ら犠牲になったジット団の団長らを通して宇宙で暮らすことの難しさと生命の儚さを直感で理解したからではないか。
宇宙で人間が暮らすことは大変な事なんだ。だから人間は、命は貴いものなんだ。
そんなことを感じながら、また宇宙と言う空間で(それこそガンダム的な言い方をするなら「地球の重力から解き放たれた空間」で)ベルリの感性は磨かれた結果、ロックパイの死に対して自分が思っている以上に、その命を奪った重みを、その命を喪ったことで涙する人がいる想いを感じ取ったってことじゃないのかな、と。
生命の大切さ。それを宇宙に出ることでベルリは余計に感じ取ったのではないかな。そしてメタな見方をすれば、富野監督もまたここに至るまでに3.11であったり、それによって活発化しているエネルギー問題の裏にある地球環境に関する問題だったり(それはある種、地球と言う星や人を含むすべての生命に関して悪影響の可能性がある問題)、世界各地での紛争だったりを知ることによって、そういったものを強く感じ取れないことには人は新しいステージに――仮にそれを「ニュータイプ」と呼ぶのだとすれば、その段階に到達することは出来ないんじゃないか、と考えているのだと信じたい。
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- [アニメ(放送終了):ガンダム Gのレコンギスタ]
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後から後からおおごとになって、時代とともに設定変わってるかんじ、不変なものじゃないと思う。