新機動戦記ガンダムW フローズン・ティアドロップ 9巻「寂寥の狂詩曲(下)」
- ジャンル:[アニメ・コミック]
- テーマ:[新機動戦記ガンダムW]

≪あらすじ≫
リリーナ・シティに迫るラナグリン共和国の移動要塞「バベル」。単身迎撃に向かった「キュレネの風」ことミリアルドは重傷を負い昏睡状態に陥る。
父から愛機トールギスヘブンを譲り受けたミル・ピースクラフトは、バベル迎撃のため先陣を切って大量のMDが待ち構える陣営に突撃を仕掛ける。それをサポートするように出撃する連邦政府のマーズスーツやプリベンターのガンダムたち。
しかし連邦政府も、そしてプリベンターも信用していないヒイロは「スノーホワイト」と共にミリアルド同様単身でのカウンターストライク(反抗作戦)を開始しようとしていた――
感想は続きからどうぞ。
≪感想≫
二日連続更新。まぁ、週に二冊の文庫本を読んでいる今なら『FT』単行本を読むくらい造作もないことなんだと今更ながら気付いたw もっと早く気付いて更新しろよ、という話である(苦笑
さて、9巻だが正直に言えば一部に限って言えば面白かった。いや、この言い方ではその「一部」というのが本当に限定的なものだと勘違いされてしまいそうだが、実際には八割くらい面白かった。残り二割に面白味を感じなかったのには、それなりの理由がある。
まず、面白かったと言える最大の理由は火星編だったこと。そしてちゃんと物語が進んでいること。ハッキリ言って、『FT』以降に登場したキャラクターたちは十分魅力的に成長した。デュオや名無しといった、TVシリーズのキャラ像を継承しているキャラもいるにはいるが、ナイナやミル、カテリーナという存在はそういったものとは違っている。
だからこそ面白い。
機動兵器の戦闘シーンの描き方も良い。途中で五飛が乱入してくるが、それでも彼はすでに自分が主役の戦いは終わっていると言わんばかりに脇を固めている(まぁ、ゼクスのエピオンとの決戦は十分に中核ではあるが、物語の描写上は脇役である)。
これが隅沢さんの本来の力か、と思うと今後もナイナやミルたちの活躍には大いに期待したくなった。
しかし、同時にこれが隅沢さんの限界か、とも思った。これが残り二割、面白いと思わなかった理由である。
まず一つ目は現時点でなお旧キャラ、TVやOVAの展開に頼っていることだ。展開の随所にTVやOVAに繋がるような要素がちりばめられている。それは著者からすればある種のファンサービスなのかもしれないが、隅沢さんの場合はその頻度があまりに多くて最近はやや露骨過ぎて、その描き方が逆に作品のクオリティを低下させているような気さえする。
XXXGのWDHSRSという単語、指導者ヒイロ・ユイが市議会議員を目指すきっかけになった少女と子犬、ヒイロとウイング系統の機体による高高度狙撃とそこからの墜落、マックスウェル教会の悲劇を模したようなシュバイカー教会の悲劇、ピースミリオンとリーブラのように味方戦艦が敵戦艦に特攻しようとするシーンなど、上げればキリがない。
そのくせFTになって登場した新キャラとは裏腹に旧キャラたちは物語を一切進められておらず、逆に物語を進めることの足を大きく引っ張っている。
かつての主役の五人とリリーナは、EWまでを経て精神的に十分成長しながら、FTの都合でその成長がリセットされたかのような不当な扱いの数々が続き、ついにヒイロとリリーナ、ヒルデにまでその手が伸びた。
いや、そうしないと物語を進められないのだろう。旧キャラを絡めて劇的なことを起こすことで物語を進めたいのだろうが、そのせいでとにかくかつてのキャラクターたちを消耗品のように貶めているだけだ。
そう、貶めているだけなのだ。
読んでいて致命的だと感じたのは、この作品を読んでいて「希望」みたいなものを何一つ感じ取れないことだ。過去編は前日の感想に書いたように「悲劇」に収束してしまうため致し方ないが、それが火星編にも影響していて相互作用でとにかく根暗で悲劇しか生まない作品でしかなくなっているのだ。そんな作品を読んで面白さは感じても楽しさを感じられるはずがない。
もし隅沢さんが「EW」の最後の一文、「二度と地球圏にガンダムを含むMSという兵器は登場しなかった(=それだけ平和が続いた)」を守る気があるとすれば、この『FT』の結末もおそらくそうなるように収束するのだろう。ここまで来て今更、旧キャラも新キャラも平和に暮らしました、なんて終わり方もないだろうし、ヒイロたちの戦いは結局TVやEW以上に歴史の表舞台に出ることなく黙殺される終わりをするのはもはや明らかだ。
続編の展開としては不思議なことではない。例えば宇宙世紀なんかはTVシリーズを軸に、開いた年号に穴埋めするかのような新作の投入が今でも続いている。Wでも同じようなことが起きているといえばそういうことになる。
ただ、それらと比べて旧キャラの比率のあまりの高さと悲惨さ、収束する結末への酷さが……。
残り一割は、キャラ数の多さと再登板の多さ、かな。ヒイロ、リリーナがEW版のままなのは言うまでもなく、そこからホログラムとはいえTVシリーズ時代のゼクスにドロシー、さらにヴァン・クシュリナーダまで出てくる始末。過去編と火星編の両方をやる必要性があることを訴えるための策なのかもしれないが、さすがにその登場は萎えた。またAC暦のMSも割と多く出てくる。ウイングゼロにエピオン、リーオーまで。その辺もキャラと同じだ。
またキャラ描写も詰め切れていない。例えばサンカント・クシュリナーダ。彼は序盤でアンジェリーナの父親として出て来たロームフェラ財団の代表であり重鎮で、溺愛した娘が宇宙で出産しようとしたので強引に連れ戻してアインとの仲を引き裂くなどの行為をしながら、しかしそれよりもさらに前の時代を描いている8巻・9巻においてサンカントはまるでトレーズのような言動を振る舞っている。とても同一人物には視えない。
いや、長い年月の中で同一人物が変質することは珍しくはないが、これはフィクションだ。その作品でそんなことが必要なのかといえば私は疑問である。
長い時間をかけて執筆しているが先を見据えていないのはこうした齟齬は少なくない。それが露呈しているのが九巻でもあるので、その辺りが総合して残り一割の面白さを感じないというか作品として萎える部分。
思えばもうFTも九巻なんだな、と思った。八巻で隅沢さんは「『FT』も折り返し」といっていたが、そうなると全二十巻くらいありそうということになるが、そんなことを露も感じないほど展開は遅く、いつまでもグダグダしているようにしか見えない。やっていることも何となく同じことの繰り返しにも見える。
だからこそ、前を向いて突き進むナイナやミル、新世代のデュオやカトリーヌ、名無しといった存在は読んでいて面白い、というのは計算されたことなのか、あるいは偶然が生んだ皮肉なのか。
どちらにせよ、旧キャラを貶めて話題を作るような展開はもうたくさんだ。旧キャラは五飛のように、すでに主役を演じる時期を終えた脇役として脇を固めてくれていればいい。まぁ、たぶんそんなことはもう無理なんだろうけど。
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