D.Gray-man 第5話
D.Gray-man 第5話「子守唄を聞かせて」
<あらすじ>
マテールの亡霊と言われている、イノセンスが埋め込まれ人間と見間違えるようになった人形・ララ。彼女は、自らが滅亡に向かうしかなかったマテールの都市で娯楽として生み出されたこと、滅亡後グゾルが唯一自分に「歌う」役割を与えてくれた人間であること、そしてグゾルの命がもう間もないことを明かす。
「グゾルが死ぬまで傍にいさせて。そしたら心臓を持っていって良いから」
と懇願するララ。グゾルもまた、死ぬ直前に幼い頃からずっと共に過ごしてきたララを自らの手で壊し、その役目を終えさせてやることを望んでいた。2人の切望に心動かされるアレン。
「ダメだ!」
しかし、神田は任務最優先としてその取引を却下する。エクソシストはイノセンスをアクマよりも先に回収しなければならない。アクマが近くに居る以上、一刻も早くイノセンスを回収、マテールからの脱出は絶対だった。
「犠牲があるから、救いがあるんだよ」
「なら、僕が犠牲になります」
救いのためには犠牲が必要だと言う神田。対してアレンは、自らをちっぽけな人間として、目の前の小さな出来事を切り捨てることは出来ないと言い放つ。
意見の対立する中、不意を打たれてグゾルごとララの心臓をLv.2のアクマに貫かれてしまう。アクマにイノセンスが奪取された。神田は先の戦いでの傷が癒えていない。しかし、神田は隣で禍々しいほどの殺気を放つアレンの姿に気づいた。
続きはOPENからどうぞ(
<あらすじ・ネタバレ>
思わず神田が「禍々しい」と感じてしまうほどの殺気を放つアレン。
「寄生型のやつらは、感情で形を変える」
と言う、神田の言葉通り、アレンの怒りと殺意は、適合者(エクソシスト)の肉体と一体化しているイノセンス(対アクマ武器)の形状を作り変えるほどのものだった。しかし、アレンは一秒すら惜しいと言わんばかりに、まだ造形が終わっていない段階でアクマに仕掛ける。
(銃?)
間一髪で間に合った武器の造形。アレンが見せた新たな左腕の形状は、大砲のような銃だった。物質化した巨大な棒のようなエネルギー塊を無数に発射するアレン。だが、「砂」を写し取ったLv.2のアクマにその攻撃は有効打になりえなかった。逆にアクマに取り込まれるアレンだったが、今のアレンはLv.2のアクマすら上回る戦闘力を有していた。
軽々とアクマの体内から脱出するアレン。さらにアレンの左腕は、銃の状態で放つエネルギー塊を、その場にとどめさせることで「剣」として機能。それはアクマの砂の皮膚をアッサリと引き剥がす。アレンから写し取った腕での攻撃を試みるアクマだったが、アレンの砲撃に同じはずの武器で負けるアクマ。
(同じ武器でも、使い手が違うんだ)
イノセンスは選ばれた適合者が使ってこそその真価を発揮するもの。幾らコピーしようと、使い手が適合者で無い限り、適合者以上にその力を引き出せないと断言する神田。その想いの通り、アクマを圧倒するアレンだったが、急激で短時間による武器の造形はアレンの身体に過負荷をかけていた。
(リバウンド?)
一瞬、武器化が解けるアレン。その隙に神田がアクマの攻撃を阻止する。
「ちょっと休憩していただけです」
神田のトゲのある言葉を皮肉で返すアレン。あと一撃、と言う想いが通じ、再度武器化に応じたイノセンス。神田の六幻とアレンの左腕。2つのイノセンスによる同時攻撃によって、アクマは消滅した。
それから数日。
ララの体内にイノセンスは戻されたが、一度イノセンスを外されたため、すでにそこにララの記憶はなく、それはララの形をした別のものに他ならなかった。それでも、グゾルが死に、ララが歌い終わるのを待つアレン。全治5ヶ月だったはずの神田が、何事も無かったように復帰してきたその時、歌が止まった。
記憶なんて残っていないはずのララ。そんなララから、お礼を言われたような気がして......
「神田。それでも僕は、誰かを救える破壊者になりたいです」
涙を流しながら、ただの人形に戻ったララを抱きしめた。
<感想>
と言うわけで、超スピードでマテールの亡霊編終了。最近、特に思うのですが、序盤からシナリオ切り詰めすぎ。全何話か解らないのですが、仮に26話以上あるのだとすれば、この速さはマズイだろ、と。マテールの亡霊は、普通に丁寧にちゃんと(原作に沿って)描写すれば、3~4話はかかるはずなのにorz
シナリオ切り詰めは、必然的に物語にとって大きな意味があるところすらカットされてしまう恐れがあり、実際に今回神田の身体にかかっている『秘密』に関する描写はゼロ。これ、結構重要ですよ、脚本家さん?
とは言え、描写に関してはまぁまぁ。アレンがヘタに叫ぶシーンが特に無かったためか、割と今回の戦闘ではアレンの声も高さが抑えられていた感じで、あまり違和感を感じなかったし、出来としては今までの中でも良い方に入ると、私は思っています。
次回は「災いを呼ぶもの」。原作ではアレンが黒の教団に行くまでの間にあるストーリーです。アレンの過去を垣間見るのに重要な話。でも、わざわざ原作と配置を変える必要があるのだろうか? そんなにアレンの過去に、リナリーを抵触させたいのか? いや、リナリーを登場させたいだけか(マテ と言うわけで、次回からリナリー登場(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ
<MVC>
アレン=ウォーカー
「それでも僕は、誰かを救える破壊者になりたいです」
エクソシストを、犠牲の上に成り立つ破壊者だと断言した神田。それはきっと事実で、犠牲と破壊の上に成り立つ救済がエクソシストに出来る唯一のこと。実際、アレンもアクマを破壊することでそこに捕われている魂の救済を行っている。それでも、アレンの中では破壊に対する肯定と否定が常にせめぎ合っているんだと思うのです。そして、それは物語に大きく関わってくるのですが、ここから先は原作ネタバレなので、ゴメンなさい( ̄∇ ̄;)
<TB先 参照リンク(URLアルファベット順)>
・http://ameblo.jp/rayran/entry-10019170886.html
・http://futarinoneko.blog61.fc2.com/blog-entry-389.html
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- [アニメ(放送終了):D.Gray-man]
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