国民栄誉賞おめでとうございます
長 嶋 さ ん、松 井 さ ん
国 民 栄 誉 賞 授 与
お め で と う ご ざ い ま す
いや、まだ検討ってことですが、ここまで来て「やっぱりあげません」ってことにはならないと思うので(苦笑 まぁ、それ以上にいろいろと思うところもありますが……なので、ここから先は追記です。
◆ノムさんは? イチローは? 野茂は? 打者ばかり?
なんて記者の質問を目にした時は、耳を疑った。まぁ、ノムさんくらいは解かるけど……。
国民栄誉賞は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」ということであって、逆にいえば「成績だけじゃ取れないよ。国民に広く愛される人じゃないと」ってことなわけだ。
記者の質問の多くは「二人より上の成績を収めた人たくさんいますけど?」みたいな感じで、コイツらもう少し国民栄誉賞が額面・建前だったとしてもどういうものなのか理解してから会見場に来いよ、と思ってしまった。
ノムさんは、まぁ取ってもおかしくはないのかもね。ただ“ボヤキ”が売りのキャラクターとなってしまった以上、「社会に明るい希望?」とは思ってしまう。面白いキャラクター性だとは思うけど。
野茂さんは、確かに近年のメジャーリーグ進出のパイオニアである。ノーヒットノーランを両リーグで達成したという成績もある。けど、「広く国民に敬愛され」ているかっていうと、そうなのかな?と思う。私は野球好きだから当然野茂さんのことも知っているし、尊敬もしているけれど、敬“愛”ではないかなぁ、と。
打者ばかりじゃないか? という指摘はご尤もだと思った。でも、「じゃあ投手で成績はもちろん、広く国民が知り、国民が敬愛している人って誰かいる?」と尋ねてみたい……。誰かいるかな? もちろん野球に詳しい人なら400勝のあの人とかなんとかって声は上がるのだけど、それは成績だけの話であって人格者・国民からの敬愛っていう意味で相応しいほどか? と思ってしまう。
ちなみにイチロー選手は成績・国民からの敬愛などで申し分はないが、実は二度、すでに国民栄誉賞を辞退している。なので「なんで松井? イチローが先では?」という質問はそもそも的外れ。ちゃんと(?)松井さんより先にイチロー選手には打診されているのである。何も知らない一般人ならまだしも記者がこの質問をしてたら、私ならあきれ果てるw もう少し勉強してから来いよ、とwww
そういう意味で、この二人は成績・国民の認知度や好感度で文句がないのは間違いない。長嶋さんは「ミスター」、松井さんは「ゴジラ」の愛称が広く認知されている。もちろん「愛称がある=広く国民に敬愛されている」とは限らないのかもしれないが、現状で「ミスター」と言えば?、「ゴジラ」と言えば?だけでその人が具体的に思い浮かぶのはこの人たちくらいだろう。あとは「キング」?w
年齢的に長嶋さんは遅過ぎる、松井さんは早過ぎると言う声もあるが、遅過ぎるのは事実にせよ早過ぎることはない。「国民栄誉賞=没後もらうもの」というイメージが定着してしまっているせいでそういう印象があるが、本来はそういうものではない。むしろ、「生前に授与すべきだ」という意見には賛成しているので、ちゃんとそのタイミング、タイミングで「(栄誉賞の)安売り」と言われても授与出来る人には授与してもらっていく方向の方が健全だろう。
◆いつ贈るか? 今でしょ
私としては逆に「早過ぎる」という人たちにその根拠を聞きたい。もっと野球界に貢献してからってことだろうか? じゃあイチロー選手が引退しても「早過ぎる」と言えるか? いや、そもそもそれじゃあ37歳で受賞した王さんにもそんなことが言えるのか?
そうじゃないだろ、と。
松井さんが引退したタイミングで、その現役時代の成績と人格者としての両面を評価するタイミングは今しかないと言えば今しかないのだから、今で良い。国内外であれだけ愛され、親しみを持たれ、慕われている日本人は他にいない。イチロー選手には申し訳ないが、WBCの参加や言動で株を上げているにせよ、松井さんほどの敬愛さを持たれているかというと、私は疑問を持っている(それはイチロー選手自身がマスコミに対しての姿勢が、そもそも松井さんのそれとは真逆の信念を持っているのでそういう影響は致し方なくあると思うが)。
またワールドシリーズMVPは現状で日本人が取れる可能性すら限りなく低いし、現状日本人で松井さん以上のホームランを打った人も、打点を挙げた人もいないわけだ。まぁ、MVPに関してはイチロー選手がヤンキースに移籍しているので場合によってはイチロー選手なら取れるかもしれないし、取れるくらいの活躍をして欲しいとも思っているけれど。
イチロー選手が国民栄誉賞を欲しい、あるいはもらっても良いと思っているかどうかは分からないが、彼がこの数年先に引退した時、少なくとも三回目の受賞打診が出来る道を残しておくためにも、この受賞は決してデメリットばかりの「早過ぎる」ということではないと思う。
◆ダブル受賞に込められた意図
ダブル受賞――抱き合わせにした建前としては、「師弟関係を評価した」ということだろう。特に長嶋さんに関しては「選手だけでなく監督(人材育成)の面も評価」という意味合いがあるのだと思う。
加えて前回の受賞者は「なでしこJAPAN」だった。団体としての受賞に対しても賛否両論あったが、東日本大震災後の日本に明るい希望をもたらしたことと、日本人としての組織力・集団性を高く評価した形だったはず。
だから、この師弟での受賞にも意図を見出すことは出来る。
昔なら当たり前だった師弟関係。でも、今そういう関係というのは薄れつつある。家庭や教育現場でも「お友達両親(先生)」と揶揄されるように、師弟関係らしい関係が構築出来ない人たちが増えつつある中で、これから先の高齢化社会における先達と若者たちとの関係の理想形としてこの二人のダブル受賞ではないか、と言う意図。
師弟として共に成功し、共に国民から広く愛される人がこの先出てくるかと言えばたぶん出て来ないだろうなぁ、と。
一方でダブル受賞の本音は、政府高官たちの卑劣な作戦に見える。一つは夏の参院選を見越した上での内閣支持率のための受賞。長嶋さん、松井さんの知名度は今さら問うまでもなく、彼らに国民栄誉賞を授与したということを参院選のための布石に使っている節がある。
もう一つは、この二人――特に松井さんは一人での受賞打診なら辞退していた可能性が高いこと。なので、松井さんが辞退し辛い長嶋さんと抱き合わせ、長嶋さんが授与承諾に前向きになるよう愛弟子の松井さんと抱き合わせることを狙ったのではないか。
先に挙げたように直近の野球界では、イチロー選手に二度辞退されている。国民栄誉賞の内実はともかくその名である以上、政府側から打診しておきながら相手に断られるというのはなんともメンツ丸潰れというか、残念な感じを助長させかねない。
そうした中で今現在、ある程度、国民栄誉賞のタイミングが出せて、受諾させやすい人を選んだように見える(ちなみに突発的と言う声もあるが、松井選手が引退した直後に国民栄誉賞検討の話があると一部メディアで取り上げられており、約三カ月検討した結果、と言うことも出来る)。
今回はなでしこJAPANの時と同等かそれ以上の賛否両論があるだろう。でも、ぜひその批判は授与者ではなく、政府に向けて欲しい。
特に松井さんの授与に関しては批難も多いだろうが、別に彼が「欲しい」と言ったわけではない。伝えられている松井さんの人柄を考えれば、むしろ授与には否定的・消極的だったはずだ。にも関わらず受けざるを得なかったのは、恩師と慕う長嶋さんが同時受賞だったからであることは想像に難くない。これで「長嶋さんは受けたけど、松井さんは辞退した」、それだけならまだしも「松井さんが辞退したから長嶋さんも辞退した」なんてことになれば、長嶋さんの顔に泥を塗り、恩をあだで返したと言われ兼ねない。
コメントで「ただただ恐縮」と松井さんが言っていたように、授与者に恐縮させるような贈り方をした政府はなんなのか、と思ってしまう。批判される方は批判すべきだと思うが、受けざるを得ない状況を作り出してその人を追いこんでまで支持率を得ようとするやり方の政府こそが批判すべき対象ではないか、ということは考えて欲しい。
◆国民栄誉賞の在り方
かねてより「選考基準があいまい」という言われ方をしてきた国民栄誉賞。それは事実である。
先の高橋尚子さんの受賞の際には、国民の認知度や敬愛度から“ヤワラちゃん”としての愛称で親しまれ、突発的に金メダルを取ったのではなく長く世界の頂点に君臨した田村亮子さんの方がふさわしいのではないか、と言う声や、なでしこJAPANの時の団体としての受賞にも異論は出た。政治利用だと言う声は尤もだ。
だからこそ、今回のおめでたい二人の受賞の影で、今後国民栄誉賞をどうしていくのかを真剣に考えて欲しいところ。
私としては、前述のように「成績がすべて」な存在にはなって欲しくない。ある程度と突出した記録や成績はもちろん前提にはあるけれどそれがすべて、というのは日本人の感覚としてちょっと違う感じもする。
なので、成績以上に人格者であること、広く国民に愛されている者であることを重視して欲しいと願う。まぁ、それはそれで数値化されない部分なので選考基準の曖昧さを残すことにはなってしまうのだけど「出てくる数字だけが全て」という、機械的な賞になるよりはずっとマシだろう。
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