ロンドン五輪・十日目 感想
ゴールデンタイムでの中継が今日は無かったので簡単にここまでの印象みたいなものを。
【個人の衰退、団体の躍進】
この十日間はまさにこんな感じだったと思う。史上初のメダルが確定した卓球女子団体やフェンシング男子団体、バドミントン女子ダブルスが直近での団体競技だが、他にも競泳男女メドレーリレー、アーチェリー女子団体、男子体操団体とメダルが続いたし、メダル獲得の有無は分からないが男女のサッカーも快進撃が続いている。
体操の男子団体の銀メダルの評価は分かれるところかもしれないが、技の高難度化が進む中でスペシャリストを揃える他国と比べてオールラウンダーが軸となる選手構成の中での銀には価値があると思っている。
そうやって考えて行くと、良くも悪くも“和”というものを大切にする日本人の民族性が良い方向に働いているのが今大会なのかな、と思える。今大会では「史上初」「数十年ぶり」という前置きがあるメダル獲得やベスト4進出の嬉しいニュースが続くが、その多くは団体。
団体で選手たちが口々に言葉にするのは「仲間の為に」と言う言葉。これが今大会の強さの秘訣だろう。誰かのために頑張れる国民性が、たぶん私たちの中にはある。それはたぶん歴史の積み重ねであり、欧米化が進む中においても決して失われず脈々と私たちの中に根付き息づくDNAのような気がした。
その一方で、個人競技は大きく出遅れた感がある。選手個人よりも選手のマネジメント能力を各方面から問われている柔道・女子マラソンもそうだし、上記で挙げた団体競技でもそれぞれの個人競技では(差はあるが)伸び切らなかった感じがある。有終の美を飾った競泳も、客観的に見れば金メダルを期待された北島・入江・松田選手は金には届かなかった(競泳日本代表の平井ヘッドコーチも「(金メダルゼロは)大きな反省点」とコメントを残している)。
個人競技だけに個人差が大きいので一概にひと括りには出来ないが、大まかな印象として個人競技・個人種目の選手たちが口にした言葉で印象的なのは「応援してくれた国民の皆様に申し訳ない」という旨の言葉だった。応援している側としてはとても嬉しい言葉ではあるが、その半面そういうことを気にしないで自分のために戦って欲しかったという想いもある。
一人で戦わないといけない個人競技。そこで勝ち抜くには、良い意味で自分のために戦えて、そして自分自身とも戦える精神力が必要なのだと痛感する。もちろん、それが生半可なものではないとも理解しているが、その生半可ではない精神力を身につけなければ金メダルと言う栄誉を手にすることは叶わないほどの舞台が「五輪」と言う場所なのだろう。
「国民のために」というある意味団体と同じ「誰かのために」精神だが、顔が見えるチーム・団体競技とは違い、国民全体という不特定多数を対象にした精神は、今大会においては選手たちを後押しするエネルギーではなく、選手たちの身動きを封じるカセにしかならなかった。
一部競技で実情以上の過度な期待をした点は、マスコミの過熱報道に踊らされた部分含め、一国民として正しい情報の取捨選択をする能力を改めて磨かないといけないと反省する部分だし、同時に現役を続ける選手たちは今後もそうした事態は残念ながら簡単に想定出来るのだから、そうしたプレッシャーを原動力に少しでも変えられるメンタルトレーニングをこの先積んで欲しいとも思う。
もちろん、団体が躍進している中で実は金メダル二個はどちらも個人競技(体操個人総合の内村選手、柔道女子の松本選手)だという事実もある。
特に内村選手は、金メダルが期待され、マスコミも大々的に煽っていき、ロンドン入り後に団体予選・決勝でのミスが続く中で、それでも戦前の予想通りに金メダルを取ったわけだ。
体操選手だけでなく他競技においても、彼、あるいは彼を支えた監督やコーチからそのメンタル面、マネジメント能力で学ぶ点はきっと多いはずだ。
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