魔法使いの夜 プレイ日記【12】
第十二章『そして、青色の魔法...』
~青色の魔法(Witch on the holy night Vol. 1)
~そして、青色の魔法(Witch on the holy night Vol. 2)
《あらすじ》
草十郎を教会に預け、傷を負いながらも姉・橙子との決戦に臨む青子と、それをサポートする有珠。それに対峙する橙子は、なぜか金色の人狼・ベオウルフを温存したまま二人と相対する。
相手が弱っていると油断しているのか、それとも……
思案する青子は、それでも自分たちに選択の余地は無いとばかりに攻勢に打って出る。有珠のフォローによってその姿を隠しながら橙子に肉薄……したかに見せた、橙子には出来ない四節詠唱による大出力魔弾(マジック・ブロウ)。
完全に橙子の隙を突いた……かに思われたその一撃は、橙子が背後に展開した魔術刻印によって無力化されてしまう。本来、後継者にのみ与えられる魔術師の血統の継承の証であり、蒼崎の刻印を青子が持つ以上、それは橙子の手にはないはずのもの。
それが、他者からはぎ取られた刻印だと気づいた青子は、初手で決められなかったことで自分たちの不利を悟り、有珠を逃がす。「二人揃って敗北する愚は犯さない。毒さえ消えて相手の切り札が分かれば、有珠なら勝てる」そう確信した青子だったが、その行動すら読んでいたとばかりに、橙子はその指を鳴らす。
次の瞬間、実は旧校舎へと続く道にあった森の中に潜んでいたベオウルフが有珠を捕獲し連れ戻す。魔術師にとって絶対に敗れない神秘を纏ったルゥ・ベオウルフの登場だったが、青子は臆することなくベオウルフの懐に飛び込み、自分に似せた橙子の特性人形を粉砕したのと同じキックを叩きこむがびくともしない。
またしてもベオウルフの攻撃で右足の太ももがつぶされ、掌打によって強烈な一撃を胸にもらった青子は積雪の残る荒れ地に倒れる。有珠に続き青子まで倒れたこの状況で、青子は必死に意識を保とうとしたところで、とある人物の登場を知る。
静希草十郎
教会で保護されているはずだった彼の登場に青子や有珠のみならず、橙子までも驚きを隠せない。この場に来ても何もできないはずの草十郎。足を引っ張るかもしれない草十郎。
しかし彼は、あろうことかベオウルフを挑発する。
その安い挑発に乗って草十郎の懐に飛び込むベオウルフを、草十郎はたったの二撃で彼の心臓を粉砕し倒してしまう。
予想外の人物による予想外の結果に驚愕を隠せない青子。だが、ベオウルフを一時的とはいえ葬った草十郎は橙子のルーン魔術によって胴体を真っ二つに切断されてしまう。
目の前で明確な死の形を持って崩れ落ちる草十郎を前に、青子はいよいよ最新の魔法使いとしてその「魔法」を解禁する。
それは草十郎を攻撃されることを予見することさえ出来なかった自分への怒りでも、草十郎を攻撃した橙子への憎しみでもなく、それはただただ単純で、でも青子が自ら遠ざけてきた「魔法」の使用に踏み切らせるほどの大きな決意。
「私はこんなにも、コイツを助けたがってる!」
今ここに、青色の魔法が現界する――
《感想》
最大級の決戦。結論から言えば遊園地戦ほどの疾走感があったわけではないが、こう「躍動的な“動”の凄み」ではなく「静けさの中にたたずむ“静”としての凄み」があったシーンだ。
冒頭の青子・有珠vs橙子の戦いは、驚きと言えば驚きだが、あの程度は予想の範囲内。いや、ここが予想の範囲内(青子・有珠が橙子の裏をかけば、橙子はそのさらに上を行くと言う先読みの戦術)だからこそ、その先にある“異常”がより際立って見えたのかもしれない。
技の名称が「マジック・ブロゥ」だったのは、やはりメルブラを意識しているのだろう、と思えた。
そして、まさかの草十郎の本気。なるほど。草十郎がこの本気を出すのであれば、草十郎を主人公にした選択肢のあるゲームは(少なくともこれが明かされていない第一部は)作りづらい。随所に伏線のような言葉は確かにあったが、それは言われて振り返れば確かにと思わせる程度のものでしかないのが上手い。だからこそ、彼が主人公になってしまうと彼のその技能を、彼を操るプレイヤーが知らないのはおかしなことになってしまう。選択肢のあるゲームにこの作品がならなかったのは、そう言った特殊な事情もあったような気はする。
それはさておいての、まさか物理格闘でベオを倒すとはね。そりゃあ、あの青子に「まいった」と言わせるだけのインパクトだ。そして、その格闘は橙子に言わせれば「人間の執念」であり「そのためだけに鍛錬を積み続けたモノ」と言うこと。
これをTYPE-MOON作品に触れた人ならば、似たようなケースに思い当たる。そう『Fate』シリーズの、葛木宗一郎だ。彼は山奥の村で、たった一人を殺すための“道具”として二十年の歳月と二千万の費用(だったかな? 費用はあってるはず。年数はうろ覚えだが)をかけられて育成された生きる暗殺兵器。(ペアとなったキャスターのサーヴァントの強化の魔術があったとはいえ)彼は、サーヴァントであるライダーを一撃で殺害し、あのセイバーでさえ初戦の第一ラウンドではその拳の軌道を見抜けず、後一歩で殺されるところだったほど。
それとは型式がだいぶ違うものの、積み重ねられた修練によって拳一つで人を殺せるほどの技能を獲得している、と言う意味ではかなり近い。相手がベオだったので、草十郎は両手はもちろん右足を除く全身のほとんどに反動で大ダメージを負ったが、仮に人間相手だったらどうだっただろうか? いや、それは意味のない問いなのかもしれない。相手が何であれ、一度きりの暗殺を成功させるための術として草十郎と宗一郎のソレは極めて近いことに変わりはない。
名前の響きも「しずき・そうじゅうろう」と「くずき・そういちろう」なので良く似ている。おそらくは、宗一郎の原型は草十郎なのだろう。奈須きのこさんとっては草十郎の誕生の方がはるかに先だが、製品化されたのは『Fate』の方が先なので、なんか複雑な感じだけどw
なによりベオを倒したCGでの彼の独特の無機質な瞳は、宗一郎にとても良く似ていた。
ただ、まかり間違っても草十郎のその後の姿が宗一郎であると言うことは100%ないだろう。彼が山から下りたのであれば、それは二つの理由しか許されないはずだからだ。一つは、暗殺兵器として完成した結果として一度きりの任務をこなすために下りること。もう一つは、何らかの理由で育成されることを放棄され、追放されて下りること。
そして十中八九、草十郎は後者だろう。そうでなければ、彼は与えられた任務のままターゲットを殺害しているはずだがそんな様子は微塵もなくて、何より人を殺すための訓練を受けていた彼が「人殺しはいけないことだ」と言うのであれば、そういうこと。たぶん彼は、人殺しの善悪の判断を考えてしまったのだろう。道具はただ使われるだけのものであって、自ら考える機能なんて要らない。要らないモノを身につけてしまったから、草十郎は失敗作として追放されたのだろう。
ならば、暗殺兵器としてその役目を遂げた宗一郎と、そもそも暗殺兵器として完成しなかった草十郎では結びつく道理は最初からないのである。
「人殺しはいけないことだ」
この台詞の重みをここで初めて知る。もちろんそれは一般的な道徳観や倫理観、常識として見ていけないことだ。でも、彼のその言葉の重みは、それとはまた違った意味がある。
おそらくこの十年前後、物ごころついたころからきっと草十郎は、人を殺すための訓練を積んできた。それが神秘の上で魔術師が手も足も出ないほどのベオすら、一度とはいえその心臓を破裂させるほどの打撃を生み出したわけだ。裏を返せば、それだけの鍛錬と修練を橙子曰く「執念」として積み上げた。
言ってみれば、彼にとって「人を殺すための鍛錬」は彼の人生そのものと言っても良かった。今まで生きてきた中で、彼が唯一与えられていた目標であり、生きる目的。一にして全、全にして一。ただそれだけ。
でも、彼はそれを否定したのだ。「人殺しは、いけないことだ」と。それは、彼が歩んできた物ごころついた頃からの、(大雑把に言えば)ここまでの十七年間の全否定。自分の人生は全部間違っていたのだと、言っていることとその言葉は同義。
それはきっと、青子が普通の中学生から高校生を兼ねる見習い魔術師になる際に、「今までの全てを捨てて飛びこんだ」と言うことと同じか、それ以上の自己否定。そういう意味で、詠利神父の言葉は本当にアテにならないな、とw 草十郎は、彼が口にした「自殺してくれと言われたら~~」のくだりをすでに体験している経験者だったのだ。そして、それは現在進行形で続いている。
今までの自分を彼は捨てた……だけではない。「人殺しはいけないことだ」と言い続ける。それは捨てるよりも過酷な、過去の自分を否定し続ける行為だ。
まぁ、それだけの重みがある言葉だと知ったからこそ、青子は後述するが、「蒼崎がやるなら自分がやる」と口にした彼の言葉の意味の重みを誰よりも痛感し、おそらく生まれて初めて自分の頑なな決意が誰かによってねじ曲げられることの悔しさを知った。彼女からすれば、それを自分が知って、それを甘んじて受け入れたとしても、その彼の言葉の重みを消してはいけないのだ、と思ったのだろう。
それも含めて、そして、青子覚醒。紅い髪にジーンズ姿と言うのは、まさしく月姫やメルブラから続く「私たちの知る」青子先生に近い。その正体は、草十郎の過去十年を借りることで、青子の未来十年を借りると言う荒業。等価交換と言えば等価交換だが、他人の過去を借りることも、それで自分の未来を借りることも、まさしく「魔法」の域にある凄技である。
まぁ、それ以上に時間を戻しただけでは、また「死」と言う結果に戻ってしまう草十郎の死んでいた五分間を未来の遥かかなたに措いてきたっていう、「なんじゃそりゃ!」な方が凄いんだけどwww
さて覚醒青子vs橙子との戦いは、TYPE-MOONシリーズではきわめて珍しい橙子が追い詰められると言うシーンの連続だった。それはそれで貴重だし、なんかこう新鮮な感じ。二人ともその名前含めてTYPE-MOON作品でその名を聞かないことや出てこないことはないほどの常連だが、だからこそ新鮮に感じたのかもしれない。
でも、本当に感動したのはきっと、青子が魔法を使う決心を固めたのが、草十郎を救いたいと言う一心だったシーンだろう。一瞬入る、草十郎のカット。あのシーンに不覚にもうるっと来てしまった。
なんかこう、青子ならそう言った他者への情けが何かのきっかけになるって絶対にないと思っていたから、余計に感動してしまったのだろう。
青子なら、草十郎が死んだことよりも、草十郎を死なせてしまった自分の甘さに激怒し、草十郎を助けたくて蘇生させるのではなく自分への激怒の結果として草十郎を蘇生させたのだと思っていた。それが、ここまで描いてきた「蒼崎青子」というキャラクター像を理解していれば必然的に出てくる回答じゃないだろうか?
でも違った。
青子は草十郎を助けたい一心だった。もちろん、それ以外の自分への怒りや、橙子への憎悪がなかったかと言えばそれはそれで嘘なんだけど、それでも魔法を使わせる決心をしたのも草十郎を助けたい一心ならば、橙子にトドメを刺さない決断をしたのもまた草十郎を助けたい気持ちだった。
橙子にトドメを刺さなかったのは、彼女がトドメを刺すなければ代わりに草十郎が殺ると言うから。それが、先に上げたように草十郎にとっては過去十年を借りられて空白になってなお、自身の心に強く刻まれた不文律「人殺しはいけないことだ」というソレを、彼自身に破らせる行為だと青子は草十郎の十年を借りた際に断片的に観た彼の過去から、その重みを知った。
そしてそうすることで、「草十郎にとって、蒼崎青子は命よりも大切な存在になってしまう」ことを彼女が嫌った。この解釈の仕方はいろいろあるだろうが、私の中では二つの解釈が共存している。一つは、草十郎が自分で「いけないこと」と言うことを犯させることへの反発。そしてもう一つは、そうさせることで草十郎の中で自分の地位が途方もなく上がってしまうことへの拒否。
一つ目はそのまま、草十郎(の心)を助けたいと言う気持ちだろう。姿かたち、肉体的に生を魔法によって取り戻したとしても、それで彼の心が傷を負ってしまうのであればそこに青子は意味を見出さないだろうし。
そして二つ目は、たぶんだけど、青子の中では「彼とは対等でいたい」と言う気持ちがあったんじゃないかって思ったから。魔術に関する記憶を消すまでの期間限定の同居。彼はそういう意味で「飼われていた」だけなのかもしれないけど、そうやって振る舞っていたのは青子が、それが自分にとっても彼にとっても記憶を消した後のことを考えればあとくされないから、と考えたからだろう。
だから彼にとってそのはずで、彼女にとってもそのはずだった期間限定の同居は、しかし気がつけば草十郎にとっても青子にとっても、もちろん有珠にとってもかけがえのないものになりつつあった(だからこそ、青子は彼を助けたい一心だったわけだから)。
なのに、この戦いが終わった結果として、自分が彼にとって命より大切な存在だと認識されれば、二度と青子と草十郎は肩を並べることはない。対等になることは未来永劫あり得ない。だって草十郎にとって蒼崎青子は不文律すら破らせるほどの人物になってしまう。
それがイヤだったんじゃないかな、と。それが人として彼とは対等にありたいという気持ちなのか、あるいは青子なりのケジメなのか、はたまた実はこんな殺伐とした展開の裏には青子なりの恋慕が隠れているのかはまだ分からないのかもしれないけれど……。
余談だが、橙子の三枚の巨石を破ったのって「スフィア・ブレイク・スライダー」なのかね? 「スフィア・ブレイク・スライダー」のスフィアって実はこの時の巨石を破った三連撃から来ているのかなって。最後のCGシーンも足からビーム出しているように見えるし(笑
余談の余談だが、実はちょっと光明が見えたのが、橙子の呪いのシーン。TYPE-MOONファンの中では橙子が何らかの呪いで三咲市に帰れなくなっているのは有名な話なので、それはここに繋がるのかと言う往年のファンだからこその楽しみがあった。
もちろん、光明は別のところにあって、青子は「向こう十年は解けない呪い」と口にし、有珠は「呪いを施した青子が、そもそも本来の時間軸では習得していないから解くも何も、それをかけた当人がいないのでは解きようがない」と考えた。
これの解釈はいろいろあるが、どちらにせよ有珠の言葉を信じるなら、呪いを解くためには呪いをかけた本人が必要なのだろう。「呪詛返し」なんて言葉もあるが、呪いは失敗すればそれを使った本人に還ってくるとも言われるし、そうでなかったとしてもおそらくだが“まだ誕生もしていない呪い”を解くことは無理と言う意味だろう。
おかしな話だと思うだろうが、つまるところ「原因」と「結果」だろう。この場合、「原因」とは呪いを作った青子(と、それをサポートした有珠)、「結果」とはその呪いをかけられた橙子を指す。青子は十年後の自分を一時的に借りて来たので「結果」を橙子に押し付けたが、その「結果」を生み出した「原因」である青子は十年後に還された。
ならば、今の時間軸でその「結果」を生み出した「原因」はどこにあるのか?
結論から言えば、“「原因」はない”のだろう。「原因」がないのに「結果」だけが残ると言うのも不思議な話ではあるが、「原因」が出現するのは言葉通りなら十年後。そして十年後にならないと、「原因」がないわけだから橙子には呪いを解きようがない、と言うこと。
そういう意味では蒼崎姉妹の戦いは少なくともあと一回はあると言うことだ。十年経って「原因」が追いついて、「原因」と「結果」が同じ時間軸の上にあれば橙子はその呪いを自力で解呪するだろうし、そうなったらまた三咲市を狙わないとも限らないわけで、それを青子ならば未然に防ぐために戦っていそう。何より、青子は『月姫』の主人公・遠野志貴に魔眼殺しの眼鏡を与えるため、橙子の工房に乗りこんでかっぱらってきていることが公式で確定しているため、その辺りでやっぱり『月姫』の裏で壮絶で地形すら変わりそうな姉妹喧嘩はあったんじゃなかろうかwww
これらの話が『まほよ』ファンにとって希望が持てるのは、青子が使った呪いはおそらく青子と有珠の共同製作である可能性が高い点だ。青子はハッキリと「師匠がアリスだから術が偏るのは当然でしょ」と口にした。そして、青子には壊すこと以外の才能は一切なく、魔法と破壊能力以外は半人前。なら、半人前の青子がそんな術を一人で作れるかと問われると、それには疑問を投げずにはいられない。
そう考えるなら、術そのものは青子だけでなくそこに有珠が共にいる可能性が高いと言うことだ。そして、それを考えるなら、同居は続いていないかもしれないが、十年後の世界でも有珠はたぶん生きていて、二人の関係も今とそこまで大きく変わらず続いている可能性がある、ということ。
十年後と言えば青子は二十七歳。『まほよ』は八十年代後半、青子が登場した『月姫』は2000年前後と言われるので、おおよそ十年から十五年と言ったところ。『月姫』の時には有珠との関係がどうなっているかは不明だが、少なくとも九十年代後半くらいまではそういう関係にあったと言うのは、ホッと出来るところだろう。まぁ、有珠の生存は半ば確定でも、草十郎がサッパリ分からないからそうでもないのかもしれないがw
それでも、ハッピーエンドはもしかしたらこの作品でも描けるのではないか、と思えてきたのは嬉しいところ。例えばだけど、『青子は草十郎を助けるために未来へ措いていき、その時が来たらそれを過去に戻す結果として出てくる問題を解決するために旅に出、有珠は変わらず魔女として久遠寺邸にいて時折ふらりと帰ってくる青子の旅の思い出話を聞きながら、師として青子に手を貸す。もしかしたら、そこには草十郎も一緒にいるかもしれない』というそんな理想の未来を見てみたいものである。
長くなったが本日はここまで。次回は明日かな。
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