雑記3/21
意思統一が図られているJリーグとは裏腹に、足並み揃わずボロを出しまくっている球界。選手会は開幕延期を訴えているが、それはいったい何故なのだろうか。結局、私にはその部分が見えないので実は納得していない。
「この状況に本当に野球をして良いのか」
私はマスメディアが伝える情報しかないので、こういう意見しか耳にしていない。もっと選手会として真意があるのではないかとも思っているのだが、その部分が見えてこないのは残念。選手会の主張としては「開幕の足並みをそろえたい」と言うのもあるらしい。真剣勝負の上、交流戦をやっている現在ではセ・パの開幕日程がある程度、揃っていた方が良いのは公平に平等に勝負をする上では、理に適っている主張の一つかもしれない。
だが、その一方で私なんかからすれば「野球人が野球をしないで何をやるんだ?」と思っている。選手会や多くの一般市民たちは「この状況で野球をするべきか? 不謹慎ではないか?」と思っているようだが、それがどういう意味を持って言っているのか理解しているのだろうか?
野球人が野球をすることが不謹慎であるなら、この非常事態にサラリーマンが仕事をすることが不謹慎だと言うに等しい。大量の電力を消費するから開催すべきではないというなら、サラリーマンが居る会社や物を造る工場も大量の電力を消費するのだから休止すべきだということになってしまう。
それは違うだろう?
このままいけば日本経済は停滞する。経済が停滞して困るのは私たち国民であり、結果として復興のために莫大な金額を必要としている被災地の方々なのだ。
現実的な話、夢や希望で腹は膨れない。寒さは凌げない。お金が必要なのだ。食料や水を買う資金、壊れた家屋やインフラを再整備するだけの資金、被災された方々を治療するための資金……。それこそ現状で数十兆円とも呼ばれるだけの膨大な資金を要し、それを国や地方自治体だけでは賄いきれないのは目に見ている。
だからこその義援金。
こんな時、野球人に何が出来るのだろう? それは野球しかない。
野球をして、それを見に来てもらって、そして収益を得る。その膨大な収益は、決して一般人では生み出せないものだ。募金に立つことは他の人にもできる。だが、野球をして莫大なお金を稼ぐことは彼らにしかできないことなのだ。
彼らが野球をすれば街頭で募金に立つより多くの人々が球場に足を運ぶ。そんなファンの方々の善意で募金を募ったり、時折チャリティーマッチを開催し収益の一部を義捐金に充てたりすることだって出来る。プロ野球選手はそれだけ多く義援金を集められる可能性を持っているのに、私には選手会が「不謹慎ではないか」という自分たちの心情を理由に開幕に難色を示しているようにしか見えない。
もちろん、それらには幾つかの要素が必要だ。
計画停電をしている関東でのナイターの自粛、および開催における大幅な電力節制。興行収入を目的とするだけではなくその一部を義援金に充てるなど被災地の復興支援を目的としていることなど。
だが、何もかもに不謹慎だとか何とか口にしていて、それで本当に被災されている方々を救うことが出来るのか? 被災された方々の心情に配慮することは大切だ。だが、日本には被災していない国民も山ほどいる。私含め彼らの力を結集するのにプロスポーツは格好の存在ではないだろうか。
今こそ責任を果たせ、プロ野球選手たち。
多くが普通の人では到底考えられないほどの年俸を貰っている貴方たちが、今こそ率先してプレーをしお金を稼ぎその一部を義援金として復興支援に充てられなくてどうする? 何のためにそれだけ高額な年俸を貰っているのだ? その高値は、選手としての能力であると同時に球団にそれだけの金額を出させるだけの魅力を持っているからだろう。ならば、その魅力で1円でも多くの義援金を集めることこそ、今本当に果たすべき使命だとそろそろ選手会も理解すべきである。
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