雑記3/19
東日本大震災から振り返って日本国民の情報教育不足を改めて痛感する毎日。あくまで個人的な見解ではあるが、本当に情報を全部提示することが正しいのかさえ怪しいと思っている。
情報はどこまで行ってもただの情報でしかない。情報で重要なのは情報そのものではなく、情報を与えられた私たちがそれを正しく判断出来るか否か。だが、今の日本人にはとてもではないがどんなに正確な情報が与えられたとしても、それを正しく解釈・判断とは思えない。正しく物事を判断出来ない人間に、情報を不用意に与えることはむしろ危険なことであると考える。
例えばそれは車の運転の仕方や取り扱い方を正しく学ばなかった無免許者に、車を与えることに等しい。パッと見はもしかしたらそれなりに様になっているよう見えるかもしれないが、実際には綻びだらけで結果として事故を起こす可能性が高いように、情報でも同じようなことが言える。
今の日本人の多くが情報に対する教育不足で正しい情報との接し方、解釈や判断の仕方を知らないのはガソリンや食料品などの買い占め、計画停電や福島原発による誤った認識が露骨に証明していて否定する要素は逆に少ない。
こういう時こそ、本当ならば情報統制をしなくてはいけない。情報統制と言う言葉からどうしても情報が隠されてしまうので悪い印象でしかない。だが、それは誤りだ。情報を統制することで人々の混乱を防ぐことも政府の責任の一つだと思う。
確かに情報統制を名目に情報が全て出されないのは危険なことではあるが、逆に私は正しい解釈の出来ない人間が多い今の日本人に情報が全て提示されることの方が危険に感じる。実際に、都内での各種混乱の一因に情報の正しい理解が出来ない今の日本人が大きく起因していると考えられる(それは本来情報を取り扱うスペシャリストでなければならないマスコミ含め)。
正しい情報を出せと声高に叫ぶ国民たち。だが、本当に今の私たち国民に、提供された正しい情報を正しく理解出来る力があるのだろうか? そもそもそれが正しい情報だと判断出来る力が今の私たちにあるのか?
それらが出来るのであれば買い占めは起こらなかったのではないか? それが起きてしまうということは、今の私たちにはそのように提供される情報を正しく理解出来るだけの能力がないのではないか。それこそ、これは運転技術もないのに車を運転させろ、と言っていることに等しいのではないか。
情報社会とも呼ばれるようになった現代の日本、そして世界。だが、今の私たちは、私たちが考えている以上にとてもではないが情報社会に対応できるだけの能力を身につけているとは言い難い。
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