雑記3/15
まずは今回の東北太平洋沖地震で被災された方、被災された方にご家族や知人がいらっしゃる方に、お見舞い申し上げますm(_ _)m
さて、関東地方および静岡・山梨では計画停電が迷走を極めている感じがしている。結果的に第5グループの一部以外では計画停電を実施しなくても供給出来た要因はやはり鉄道始め公共機関や各種店舗が予定された停電時間の運航・営業の停止、あるいは丸一日休止にする英断をしてくれたからだろう。
鉄道や店舗と言うのは膨大な電力を要することは、誰の目から見ても明らかだ。もし仮に鉄道が全線普通に動けば計画停電は計画通り実施、あるいは計画以上の停電をしなければ重要と供給のバランスを保つことは出来なかったのではないか。
「なんだ、停電しないのかよ」「やらないなら電車動かせよ」とかマジで頭がイカれているとしか思えない発言は勘違いも甚だしい。そもそも、関東圏内でこの膨大な電力による便利な生活の恩恵を受けてこれたのは、原発を受けれいてくれた市町村であり、その住民たちのおかげなのだ。その市町村や彼らが甚大な被害を被り、この国家的緊急非常事態にそのような発言は常識や品位を疑う。
しかしまぁ、そもそも何が悪いかって東電が、やるのかやらないのかハッキリしないことだけど。
とは言え、東電側の思惑も実は理解しているつもり。電力の安定供給は電力会社の使命と責任であろう。それを考えれば停電をさせないに越したことはない。もっと簡単に言えば、電力供給先である私たちが一人でも停電で大きな不便に陥らないように最後の最後まで東電社員は奔走しているし、奔走したいのだ。正直、その姿勢は恩恵を受ける私たちの側からすれば嬉しいことだろう。
しかし、そうは言っても開始2時間前になってようやく「やります」って発表とかされても、それは逆に不親切極まりない。
こういう時は、やるかやらないかはもっと早くに決断しないと。やるならやる、やらないならやらない。その判断が難しいなら、最初からやってしまうべきだろう。やった上で重要と供給のバランスを見て、供給量が需要量を上回れるようならば、最大3時間を想定している停電期間を順次短縮し切り上げ早期復旧すれば良い。
ただ、今回の一連の計画停電のニュースを見ていて正直、いろいろと考えさせられる。例えば、報道では計画停電が計画通りに行わなかったことへの非難を多く見るが、本当にそうだろうか?
そもそも考えてみて欲しい。停電して欲しいのか? 違うだろ。私たちの生活はその大部分のエネルギーを電力に依存している。停電は文字通り誰にとっても死活問題だ。なら、停電はしない方が良いに決まっているではないか。それなのに、停電しなかったことを非難してどうする。もちろん、先述のように東電には「やるかやらないか」はもっと事前にはっきり決めて欲しい。けれど、実際に停電せずに済んだのであればそれは、東電側の努力であり、節電に努めた私たちの努力であって、必ずしも非難するようなことではないのではないか。
マスコミ関係で言えば、午後3時から行われた計画停電に対する第5グループ実施会見でのマスコミは最悪の極みだった。というか、質問していた記者ね。私なんかは会見を普通に見ていて、それだけで理解出来た。ちゃんと会見を担当していた方の説明は理路整然だったし、問題なんてなかった。たぶん、中高生や高齢者の方が聞いたってだいたい理解出来たんじゃない?
なのに、それを無駄に煽って混乱させたのはバカな質問した記者であり、それをさらに誇張して表現するマスコミだ。正直、会見聞いてて頭を抱えたくなったし、会見から報道センターに戻った時のアナウンサーの対応にも失望した。全然混乱してないから、混乱させたのはアンタたちマスコミだから。ちゃんと報道機関に苦言を呈した官房長官の会見聞いてたのか、と小一時間問い詰めてやりたい。もっと頭使って考えて質問しろよ、プロの記者だろうが。
同様のことは他の部分でも言える。例えば、原発問題。福島第一原発正門前での数値がたびたび公表され、それを他のモノと比較するシーンも目撃しているが、勘違いしている人が絶対に多い。
そもそも、公表されている単位は「マイクロシーベルト/h(パーアワー)」で「1時間、そこに居続けた場合に受ける値」である。比較対象として出て来る中で1年間の許容数値……はまぁ、良いのかもと思うが、胸部レントゲンとか出していて驚く。レントゲンなんて一瞬だ。1秒あるかないかの刹那の時間であり、例えるなら「マイクロシーベルト/sec(パーセコンド)」で「1秒間(でもない。たぶんもっと短い一瞬)の、レントゲン使用時の値」なのである。
つまり、マスコミの多くは1時間当たりの数値と1秒あるかないかの数値を単純比較しているところがほとんど。単純に1/360も単位が違うのに、それを同列で比較してコメントしているアナウンサーとか本当にどうかしているとしか思えない。見識ある研究者や学者の方々が、時折訂正して上記のようなことを述べてくれているが、アナウンサーが無駄に誇張するので、それが正しく伝わっているかどうかも不安だ。
他にも被災現場でのヘリコプターの多用、被災者への一部インタビューには失望の連続である。こんな時にそんな質問しなくても良いだろう、と思うものも多い。報道するマスメディアとしては生の声として伝えたいのかもしれないが、いろいろと頭を疑ってしまう。ヘリコプターの多用も救出・救助現場で重要な「音」をかき消してしまうため、むしろマスコミが救助作業を妨害し助けられたかもしれない人を見捨てさせていると言える。
もちろん、これらは一部のマスメディアに携わる資格すらない良識無いマスコミやアナウンサーだけであると信じたい。例えば現地入りした某有名アナウンサーのインタビューは、インタビュー前の礼節や謝罪を決して忘れず、親身になってお話を伺い、終わる時も礼節を欠かしていなかった。あるいは、別のアナウンサーは坂道を非難している車いすの方を引っ張りながらインタビューするなど、微力かもしれないが現地での協力も忘れていなかった。そうした礼節を欠かさない姿や、取材をしながらも現地に協力する姿の積み重ねこそが、もしかしたら本当に大切なものではないだろうか。
マスメディアのパワーは非常に大きい。彼らの情報発信能力に私たちは時に一喜一憂し、右往左往するのだ。そんな彼らだからこそ、速さよりも精確さ、そして何より取材や報道している姿勢で誰よりもお手本・見本になるような存在であって欲しいと切に願う。
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