劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer- 感想・講評 第八回
- ジャンル:[アニメ・コミック]
- テーマ:[機動戦士ガンダムOO]
感想・講評 第八回『キャラクター考察2』
キャラクターを個別に振り返って行こうと思います。一応総数が多いので数回に分けることになると思います。
今回はソレスタルビーイング(プトレマイオスクルー)を取り上げます。と言っても前回ほど濃密ではないです。さすがにサブキャラクターなので……(汗 小説版を入手して読んでいればまた違う?
※ちなみに小説版は読んでません。もし小説版に似たような記述があっても複製ではなく、また小説版と違った解釈であったとしても個人的な解釈ですので、それを了承して頂けますようお願い致します。
では、さっそく考察です。
◇スメラギ・李・ノリエガ
今も変わらずCBの戦術予報士。一部には『ただの艦長になり下がった』と言う感想も耳にしましたが、彼女は単なる戦術予報士ではないので、私はCBと一緒で存在していることに意義があるキャラクターの一人だと思っています。
居るだけで安心出来る。
トレミーのクルーにとってそんな存在に違いない。もちろん、ただの存在感ではなくて、いざと言う時の豊富な経験と戦術予報士としての判断力と戦術予報がその裏付けとしてあるからこそのキャラクター。言ってみれば、カティと同じで理論的に戦術を組み立てていく彼女が、それでもELSとの決戦で最後に口にしたのは「希望」と言うあやふやなものだった。それでも、スメラギはきっぱりと断言したのだから、すでに彼女の枠組みは“戦術予報士”からは外れていたのだろう。
ニール亡きプトレマイオスにおいて、帰ってきた長兄ならぬ長姉。フェルトへのフォローであったり、場の空気を読んでミーティングまでに休憩時間を挟んだり、随所に存在感を示したキャラクターだと思う。
50年後、彼女のコードネームは外宇宙航行艦の名前として付けられた。これをビリー・カタギリの思惑だと言う方が多いけれど、私はむしろカティの思惑だと思っている。ELSとの決戦で彼女が口にした希望。その言葉を聞いたのはカティであり、その希望を意図して名づけることが出来るのはビリーではなくカティだと思うから。
その当人は50年後どうしているかと問われればさっぱり解らない。50年後と言うことはマリナと同じくらいの年齢だろうし、さすがに隠居しているのだろうか?
◇フェルト・グレイス
気がつけばヒロイン? そんなガンダム史上もっともあやふやな形でヒロインの地位に居る気がする彼女。そもそもにして、刹那との恋愛は色々無理があるのだろう。
やや脱線するが、ガンダムOOはキャラの住み分けがしっかりしていたと改めて思う。ストイックに理想を追うタイプの刹那とティエリア、対称的に人間味溢れる、ガンダムシリーズの大半で描かれるような恋愛劇を見せたタイプがロックオンとアレルヤ。四人の主人公がそれぞれに住み分けをしていた。
フェルトは1stシーズンではニールに淡い想いを抱いていた(それが異性としての恋愛か家族愛かはそもそも不明だが)彼女が、双子の弟であるライルと絡むならばまだしも、刹那と絡むことそのものに無理があると言うか。
実際に、水島監督、黒田脚本家共に2ndシーズンで刹那に花を渡した意図は友愛(仲間・家族としての愛)であっても恋愛ではないと明言していたわけだし、当初はそうした予定の無かったキャラクターなのだろう。
ただ、劇場版ではさすがにそうした監督方の言葉だけでは把握し切れない、普通に恋愛方面への展開がされた気がする。まぁ、その方が劇場映画としてのエンターテイメント性は上がるのだろうが。
ちなみに私はフェルト派(刹フェル派)です。と言うよりも、マリナ・イスマイールと言う歴代ガンダムヒロインの中でも屈指の博愛キャラである彼女が特定の人物と愛を育む姿が想像出来ない。彼女はやっぱり聖母のように博愛・慈愛でアザディスタン全ての国民を愛する大きな愛を抱いている方が、彼女らしいと思うから。
話を戻して、確かにTVシリーズでは恋愛に関してやや否定的な公式コメントが出揃ったわけだが、それが劇場版でもそのまま当てはまるわけではない。二年と言う歳月は人が変わるには十分だろうし、フェルトが刹那に惹かれてもおかしくない。
そもそもフェルト・グレイスと言うキャラクターは、引っ張って行ってくれるタイプに弱いと観ている。同性・異姓問わずに。
それはニールであり、そしてクリスティナであったと思う。
時間が流れて、刹那は心身ともに成長しイノベイターへと覚醒した。人類初の純粋種のイノベイターとして、スメラギとはまた違った形の組織を導き引っ張って行く一種の長兄的役割・リーダー的役割を事実上担う刹那の姿に、かつてのニールやクリスティナが重なって、自然と想いを抱いても不思議ではない。
同時に劇中で語られていたように、仲間の中からも孤立していく刹那に対して成長した彼女が母性本能をくすぐられている、とも捉えられる。
と、これがおおむね刹フェル派の肯定意見だろうな、と思います。でも、こうしたことを仮に監督方に尋ねても「ないね」と一刀両断されて否定されそうだ(ノ∀`*)アイター
50年後、彼女もだいぶ年を重ねるわけだが、刹那が帰ってくるまでは最前線とはいかなくても組織に居て彼を待ち続けるのだろう。そもそもCB以外の組織しか知らない彼女が外部に巣立っていくと言うこと事態、あまり想像出来ることではないし。
さり気なくシリーズを通して髪形を変え続けたキャラクター。スメラギのように長さが変わった程度ではないのが、変化に乏しいシリーズの中では良いアクセントになったのかもしれない。
◇マリー・パーファシー
ソーマ・ピーリスと呼ぶべきなのだろうか? 個人的にはマリー・パーファシーだと感じているのだが、アレルヤとハレルヤほど人格云々の話が出てこないので何とも言い難い。
ある意味、彼女もまた2ndシーズンでアレルヤ同様に確立されてしまったキャラクターであるので、それに対して何かを言うことはとても難しい。トランザムバーストによる意識共有空間でアンドレイに父セルゲイの想いを伝えることが出来、和解することが出来たことで、彼女の中での“解り合う”と言うテーマはアレルヤとも解りあえていて、実は一つの区切りを迎えられている、と思っているから。
でも、2ndシーズンはある意味アレルヤとソーマの恋愛劇(やや屈折していたが)でもあったわけだし、2ndシーズンでしっかり一つの区切りを迎えていたわけだから、二年たっても二人が変わらず一緒に居る姿にはホッと言う安堵感も覚える。刹那、ロックオン、ティエリアとあまりに主役他三人がその手のことでは報われないか音沙汰すら無いから。
個人的見解を言わせてもらえば、マリーもまたアレルヤとハレルヤのように真の超兵になっていると思っている。厳密に言えば、近い存在になっている、と言うべきか。
映画の劇中でも、ハレルヤが「ピーリスっ!」と呼びかけて反応していることを考えると、
・アレルヤ&マリー⇒思考人格
・ハレルヤ・ソーマ⇒反射人格
として成り立っているように思えるのだ。
ただ、アレルヤとハレルヤのように完全に別人格化している、と言うわけでもないので、完全な思考と反射の融合が出来ているかと言えば、それは難しいようにも感じる。もしも、それが出来るのであればハルートのマルートモードは六つ眼ではなく八つ眼である方が正しい気がするし。
マリーはおそらく戦闘経験と訓練を積むソーマに戦闘は託している。人格の完全な交代と言うよりは、元々トランザムバースト空間でやや融合している二つの存在の比率を変更する、と言ったところか。例えば普段は、マリー8:ソーマ2くらいの割合だとして、戦闘時はそれが逆になってマリー2:ソーマ8くらいになっている、とか。
それでも、アレルヤとハレルヤ程ではないが脳量子波と相まって超兵として十分なスペックを発揮するからこそ、マルートモードではアレルヤとハレルヤ、そしてソーマを意識したように六つ眼なのだと思う。
脳量子波で言えば、やはり脳量子波が高い方が反射神経は良いようだ。劇中の運動神経や反応速度を見てもそう思う。と言うことは、
脳量子波が強い ハレルヤ>ソーマ>マリー>アレルヤ 脳量子波が弱い
と言う具合? そうでないと、ELSがアレルヤより先にマリーを狙った理由にならないし、人格がハレルヤにチェンジした瞬間にELSがハレルヤを狙う理由にならないと思うし。
50年後、やっぱりアレルヤとマリーは結婚しているのだろう。おそらくアレルヤが組織に残り、彼女もCBに残っている気がする。それはどちらかと言えば、アレルヤの意思と言うよりマリーの意思で。アレルヤからすればやっぱり戦いから遠く離れた“普通”を求めそうだけど、マリーは逆に今の自分たちの絆を作ってくれたCBに恩返しをしたいくらいに思っている気がするのだ。
イノベイターに覚醒出来たかどうかは怪しいライン。後天的な外科手術によって脳量子波を得た彼らが、果たしてイノベイターになれるのかが、そもそもの疑問だからだ。
ただ、イノベイターになれていなくても、彼らの子供がCBのガンダムマイスターとして参加している、と言う設定も面白そうである。前回の考察でも書いたけど、メタル刹那、ロックオンの後継者、アレルヤとマリーの子供、ティエリアと言うマイスター布陣もこれはこれで興味がある。
◇ミレイナ・ヴァスティ
大人の女に脱皮中ですぅ♪と言いながら、最後の出撃時にはティエリアへの愛の告白。フェルトで散々、恋愛劇を描かない作品でいきなり愛の告白には、そりゃあイアンじゃなくても『なんだとぉぉっ!』である(笑
正直、シリアスになればなるほど彼女の見せ場はそんなにあるわけではない。こう言っちゃ失礼かもしれないが、やっぱり彼女はシリアスと言うよりも、コメディな気がするから。もっとこう、日常的なパートがあるならば活躍出来たのかもしれないが、さすがに劇場版で活躍を期待するのは酷というものだ。
ティエリアはイノベイドである為、器となる肉体さえあれば復活出来る。もしも結末が違えば、ティエリアと彼女の間に愛は生まれたのだろうか? そうした純粋な疑問はある。ティエリアは2ndシーズンで満更でもなかったようだが、ヴェーダに意識データを移してからはさらに達観した感じがあるから。
それでも、やっぱり彼女は宣言したように『どんな姿になってもアーデさんが大好きです』と愛し続けるのだろう。
50年後、あくまで個人的な願望を言えばフェルトと共に極力若い状態でティエリアと再会して欲しいと願う。単純計算で寿命が倍になるらしいイノベイターに覚醒するとか、そんなことになると思うが、そうであっても肉体年齢は40歳前後となってしまうだろうが。
あくまで個人的な願望です。
◇イアン・ヴァスティ
イオリアから託された理論とGNドライヴを使って常にガンダムを作り続けたおやっさん。ティエリアが娘の彼氏であることに対しては異論がありそうだ、さすが父親(笑
さり気なく……でもないか。ヴェーダによって選ばれた人物(? なんだよね、きっと)だけあってその技術力は卓越している。天才と呼んで差支えないだろう。
2ndシーズンでは四年で四機のガンダム(内一機は全くデータのない理論と設計図だけのツインドライヴ搭載)と母艦の新造、劇場版では二年で三機のガンダムの新造と母艦の改修をやってのけたのだ。もちろん、彼一人ではなくリンダや優秀な技術者たちがそろった結果であるのだが、それでも基礎骨格は彼が組み上げたのだろう。
“ガンダム”と言う超越したMSを開発する技師たちがちゃんと出て来るガンダムシリーズは実はそんなに多くない。最近だと、基礎開発から製造まで行った技師が出てきたのはガンダムWくらいだろうか。
ガンダムと言う高性能なMSが存在していると言うことは、それを作った人が必ずいる。
そうした部分をシリーズを通して最後まで描いてくれた、その為のキャラクターだったと思う。
◇リンダ・ヴァスティ
2ndシーズンでいきなり出て来たイアンの妻。ミレイナの母。そりゃあアレルヤじゃなくても「犯罪ですよ」と口にしたくなるってもんだ(ノ∀`*)アイター ティエリアが娘の彼氏であることに対しては賛成らしい、ある意味凄い母親である。
結局彼女はどんな意図のあったキャラクターなのだろうかと思い返すと難しい。イアンとミレイナのキャラクター性を膨らませる為のキャラクターと言われればきっとそうなのだろうけれど。
ただ、思い返してみると数少ない夫妻であることは事実なのだと思った。スミルノフ一家とヴァスティ一家くらいだろう、一家で出て来るのは。いや、そこにどんな意味があるのかと問われると困るのだけど。
以前、他のサイト様で読ませていただいた映画の感想記事に、タイトルバックを前にしたシーンでイアンとリンディが寄り添うシーンがあったことに対して、本映画のテーマであった“解り合うこと”の手段の一つとしての“ふれあい”を示すものだと言う感想があって偉く感心させられた記憶がある。
失われた何か【エルス】劇場版 機動戦士ガンダム00(ダブルオー) A wakening of the Trailblazer(感想)
気になった方はぜひ一度、伺って欲しいと思う。劇場版OOに対して肯定的な方の一人で、賛否両論巻き起こっているこの作品の中で肯定的な意見の方の考察を読みたいと思っている方ならば、きっと気に入って読むことが出来る内容になっていると思う。かく言う私もその一人だが。
話を戻して、確かに2ndシーズンではそれほど描写されなかったふれあいがいきなりこの二人から始まったところに初見では観ているこっちが小っ恥ずかしく思ったくらいだが、そうした考察に目を通して見ると、確かになるほどと思える。
50年後、さすがにイアン共々存命とは考え辛いか。イノベイターにでもなっていれば話は違うかもしれないが。
◇ラッセ・アイオン
TVシリーズでは1st、2nd共に最終決戦ではサポートメカによる見せ場のあったラッセだったが、さすがに劇場版では尺の都合もあってか、これと言った活躍が見られなかった。
せっかくデュナメスリペアを出したことだし、最終決戦だったわけだったから、デュナメスリペアとか、(後はtwitterで語られたヴェーダの裏記録によるとあるらしい)エクシアリペア3とかに乗って出撃して欲しかった想いはある。まぁ、出撃したら確実に死亡フラグのような気もするが。
存在し続けることに意義がある。
1stシーズンで刹那に語ったこの言葉が、私の中では今でも全シリーズを通してガンダムOOの名言の一つとして心に残っている。
ガンダムOOにおいて“矛盾”は多く描かれたサブテーマの一つだ。その一つが、戦争根絶の為に武力介入を行うと言うCBの存在意義への矛盾。
彼が出したその答えは、その後の多くのマイスターやCBメンバーへ影響を与えたに違いないと勝手に思っている。
50年後は何をしているのだろうか? トランザムバーストによって肉体に受けた毒性のGN粒子が解消したと言っても、やはり色々無理をした肉体である。イノベイターにでも覚醒していない限りは、存命は難しいのか?
◇亡くした者たち
ニール・ディランディ
結局最後の最後まで大き過ぎたキャラクターだった。刹那を支え続けた「お前は変われ、刹那。変われなかった…俺の代わりに」と言う言葉は最後まで重かったと思う、色々な意味で。
その言葉が無ければ刹那はイノベイターに覚醒することもなければ、最後の戦いで目覚めることすらなかったのかもしれないと思うと、この男の与えた影響の大きさを改めて実感する。
刹那、ティエリア、フェルト、ライル。
大きな影響を受けたキャラを挙げてもこれだけいて、小さな変化ならばアレルヤやスメラギだってそうだろう。もしも、彼が死ぬことなく生きていたら、また違った未来が合って、また違った対話があったのかもしれない、と思ってしまう。
リヒテンダール・ツェーリ
ニールに比べて影が薄いかと思いきや、劇場版で再登場となったリヒティ。そもそもこの扱いに感涙してしまいそうになる。
1stシーズンとなるともうかなり前の話のように感じてしまう。2ndシーズンでもちょくちょく妄想やら幻想やらで出て来たニールと違い、どうしても疎遠になるキャラクターであるが、水島監督はそこで彼らを救いあげた。
刹那が昏睡して見る夢の中、最初に刹那の叱咤激励したのは彼だ。思わぬ登場に、映画を見ていて思わず感動してしまったのを今でも覚えている。
刹那にとってそれだけ初期のトレミークルーは思い入れが強いのだろう。そうした裏付けにもなっている気がして、なおのことそう思う。
1stシーズンでは24話で株を上げるまではやや軽率な行動の目立った彼。それでも、仲間を心配して刹那の夢の中に現れる面倒見の良さがもしかしたら彼の本質だったのかもしれない。
クリスティナ・シエラ
リヒティに比べれば、フェルトが思い返していた為、そこまで印象が薄くなかったとはいえ、やっぱり映像として姿が登場するとリヒティ同様に感動を覚えてしまう。
彼女の影響力の大きさは2ndシーズンでのフェルトの髪形を見れば解る。また、2ndシーズンだけでなく、劇場版でもフェルトが「あの時」の対比として彼女が死んだ場面を思い起こすことから考えても、フェルトにとっては一生忘れられない姉なのだろう、と改めて思ってしまう。
そんな彼女もリヒティと共に刹那の夢の中に出てきた。刹那の目を覚まそうと叱咤激励をしたのがリヒティなら、その手を差し伸べて立ち上がらせたのはきっとクリスなのだろう。そして、最後に刹那の背中を押したのはニール。
本当に良い仲間だったのだと改めて思う中、モレノさん(1stシーズンに出てきた医師)は(´・ω・`)ショボーンと思ってしまう(汗
私の中では劇場版含めてシリーズの最後まで良いお姉さんだったなぁ、と言う印象である。
ありがとうございました。
記事言及して頂きまして(しかも2回も)、ありがとうございます。
月詠さんの00劇場版のシリーズ言及は質量共に凄いですね。
私にはここまでパワーを避けないので、驚嘆してみるばかりです。
映画は最初のシーンの入り方や見せ方が、観客に対して
その後の映画全体の見え方を決めてしまう(テーマも隠されている)と言われるので、
最初のシーンについては特に注意深く見るようにしてます。
そうしたら冒頭からイアンとリンダが寄り添うシーンを丁寧に見せていたのを始めに
他のキャラも体を近づける芝居が多かったので、
この作品は「ふれあい」の話なんだなぁと自然に思えましたね。
今後の考察も期待しています!!