劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer- 感想・講評 第三回
- ジャンル:[アニメ・コミック]
- テーマ:[機動戦士ガンダムOO]
感想・講評 第三回『劇場版OOの可能性』
劇場版OOの続編……と言うわけではありません。
その可能性ではなく、劇場版OOがもたらしてくれるかもしれないもの、あるいは劇場版OOそのもののさらなる可能性について少しだけ触れてみたいと思います。
では、さっそく考察です。
◇劇場版OOの可能性◇
劇場版OOと言うよりも、“ガンダム”としての可能性については前々回に記述しているので割愛します
⇒劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer- 感想・講評 第一回『劇場版OOの初見』
劇場版OO、最初にスクリーンを観終えて最初に抱いた感想が「『アルジェントソーマ』を観ている気分だった」と言うモノでした。あんまりこういう感想を目にしなかったので、そもそも比較していないのか、あまりにマイナーな作品となってしまったのか(笑
アルジェントソーマとは、以前テレビ東京系列(だったはず)で放映していたアニメです。
まぁ、ネタバレ含みで超簡潔に語れば、謎のエイリアンが襲来。ヱヴァの使徒のようにとあるポイントめがけて侵攻してくるエイリアンに主人公たちが対峙。主人公たちの中にエイリアンと心を通わせることが出来る少女と、エイリアンの破片から復元されたエイリアンのパッチワークがいて、主人公たちと一緒にエイリアンを撃退する。
そんなエイリアンの正体は実はかつて宇宙航海に出かけた宇宙航海士で、地球に残した愛する妻の下に帰る為に未と心を刻んで、姿かたちを変えて帰ってきていただけだった。
エイリアンは残存する全ての分身を一つにし、惑星規模となって地球へと迫る。それに対して地球人としての記憶を取り戻したパッチワークのエイリアンは、自分が帰ってきた時の災害で妻が亡くなったと知ると失望するも、迫るエイリアンに特攻して消えていく。
6年後、数光年先の宇宙に再び巨大なエイリアンが出現する。かつてエイリアンと心を通わせた少女と主人公は、外宇宙航行艦に載って、そのエイリアンを目指す。
と言う作品です。
文字として羅列すると、意外と劇場版OOとは結構差異がありますけどね。映像で見ていた者の印象としては似たような印象を受けた。
意思の通じない相手とひたすら戦いながら、何とか解りあえて、そして最後には今度は人類の方が外宇宙へと旅立とうとしているシーンなんかが。
『アルジェントソーマ』自体は2クールを使ったストーリーで人間関係はかなり複雑に描かれていますので、「似てるなら見てみようかな?」と軽い気持ちで見ると後悔するかもしれません(笑
さて何が言いたかったか、と問われれば、それはアニメーションにおける異性体・知性体に対する可能性です。
アニメーションにおいてそもそも異性体を扱うものって昨今あんまり多くはありません。“異星人”ではなく“異性体”です。
劇場版パンフの中でも語られていますが、人の形をして意思疎通が出来る“異星人”ならば頻繁に設定として出してくるアニメは山ほどありますが、意思疎通はおろかそもそもまっとうな人の形すらしていない“異性体”がメインとなるアニメはあまり見受けられない。
もちろん、無いわけではありません。前述の『アルジェントソーマ』もそうだし、今期で言えば『ストライクウィッチーズ』シリーズもそうでしょう。
でも、そんなに数があるわけではない。
故に目立たないんですよね、この“異性体”との関係を描くネタって。
『アルジェントソーマ』は挙げたように、そもそも今アニメを観ている世代の方々の中でどれだけ覚えている方がいるか…。『ストライクウィッチーズ』はキャラ萌えが先行している側面が強く、実際に続編だった第二期では、異性体(ネウロイ)に関しては触れずじまいで終わってしまいましたし。
ただ、ラノベに似通った設定や話が飽和し始めてきているように、設定やお話に限界が見え始めている以上、いつか遅かれ早かれこのネタは、誰かが何度もやるはずだったネタなんですよね。
それを水島監督が拾い上げてくれた。
もちろん、水島監督が異性体を持ってきた意図には、“解りあう”と言うOOとしてのテーマの行き先に辿り着いた、対話相手の一つなのだと思いますけどね。
ガンダムではある種『タブー視』されていた異性体・宇宙生命体ネタを、ガンダムでやってくれたこと。
この意味は大きい。
ガンダムと言う良くも悪くも絶大なる人気とファン層と影響力を持つ作品が異性体を取り上げて120分超の作品を一本作り上げて、映画で公開している。
この映画の興行成績がどこまで行くのかは解らないけれども、おそらく多くのアニメファンはその盛り上がりとガンダムと言う冠から一度は目にするだろう。目にしなくても、中身や噂を耳にするだろう。
そうした結果として、アニメファンの中で、『異性体を取り扱う作品について』と言う議論や思考が生まれてくれるはずなのだ。
現在のアニメはラノベのアニメ化が主軸化しており、そうしたラノベで異性体を扱うことはあまりない(文章だけのノベルスで、意思疎通が出来ない相手と戦う設定はそもそも難易度が高過ぎるのだろうか、そう言った作品をあまり目にしない)。
だからこそ、ガンダムと言う大きな器をもつ作品で取り扱って、ある種ラノベ的な思想に引っ張られがちな今のアニメファンに、「こういう敵やテーマもあるんだよ」と一石を投じられる気がする。
もうひとつ、この劇場版OOに対する可能性としては、作品そのものが再評価される可能性だ。
そもそもの『ガンダム』作品の性なのか、この作品に対する現状評価として多く目にするのは「意味不明」の一言が圧倒的に多い。実際に私が観に行った時、終わって退席していると、後ろのグループで来ていた子たちが「意味不明」と口々に声にしていた。
それを聞いて私は「あぁ、ガンダムらしいな」と思ってしまう。
1stやG、X、あるいは∀辺りも入るかもしれないし、人によってはZやZZもそうかもしれない。
とにかく、ガンダム作品は公開当初と現在の評価が一致しない作品が多く。例外的なものはWやSEED、あるいはOOだろうか。0080や0083もそんなに評価に差異が出たように感じはしないが。
何が言いたいのかと言うと、ガンダム作品は設定や世界観、テーマなど描かれることが多い上に、ガンダムである為に戦闘シーンも多く、じっくり何度も見るだけの時間がないと正当な評価は受けにくいと言うことなのだ。
GやXが昨今再評価を受け始めているのもそうだし、今では始祖たる1stや劇場版三部作が作られたZだって再評価を受けた結果、今の地位があるようなものである。
それを考えた時に、「意味不明」と言う感想ほど可能性を感じさせる感想もないだろう。
「つまらない」ではないのだ。「つまらない」ならそれが「面白く」なるのは難しい。だって「つまらない」と感じてしまったのなら、それは率直な感想だろし、そこから自分が面白いと思える視点を見つけて再評価をするアニメファンがそんなにたくさんいるとも思えない。
でも、「意味不明」と言うことは、そうした感想を漏らした人たちは、意味さえ理解出来れば「面白い」と思えるかもしれない可能性を秘めているのだ。
もし仮に、ELSの意味やエンディングの意味を目の前で水島監督や黒田脚本家から説明を受けて理解出来て視聴出来れば、きっと感想は違うはずだ(まぁ、そんな贅沢なことなんてありはしないのだが)。
作品の面白さは、ある部分で見ている自分が送り出される情報を分解して処理して吸収出来るかどうか、と言う部分も関わってくる。その意味で、作品を理解出来るかどうかは面白さに直結する部分なのかもしれない。
難解な設定や世界観、心理描写やテーマだからこそ、読解や理解には時間がかかる。ガンダムと言うのは、基軸となる固定観念や先入観で捉えられる部分があってしまう為に、それを超えた先にあるその作品だけのテーマや性質を掴むのが難しい。
今はまだ、もしかしたら「意味不明」と言う感想が多いのかもしれない。
でも、これから先、二度・三度と観に行った人の感想や、将来的にDVDなどが出て改めて自宅で何度も見直せた時、あるいは五年後十年後に、何かの企画で再度取り上げられた時に、大きな再評価を受けることが出来るかもしれない。
そうした可能性を感じさせてくれる作品だと思う。
分からないからまた見るとか聞くとか
それこそ対話が発生するかもしれませんね
評価の可能性
異星SFジャンル開拓
面白い記事でした
ちなみに自分の再評価した作品はGガンダムです1話からアレで最後はラブラブでひっくり返りました(^^;