Angel Beats! 放映を終えて~第1回~
- ジャンル:[アニメ・コミック]
- テーマ:[Angel Beats!]
「第1回」としましたが、「第2回」以降あるのかどうかは不明です(マテ まぁ、時間と余裕とアイディアがあれば、幾らでも放映後に改めて、感想とか色々と纏めたいとは思います。それくらいの素材があるのがAngel Beats!(以下AB)だと思うんですよね。
とりあえず、実はABに関しては匿名でコメントも頂きました。本当にありがたいことです。それに対する直接的な回答はここではしていませんが、そう言ったモノも基にして、とりあえず第1回を書きます。
話題は
『Angel Beats!とは作品として何だったのか?』
『この作品はどう楽しめば良かったのか?』
です。
※作品批判と言うより、今回はそんな作品を観る私を含めた私たち視聴者側への問いかけ・批判・自戒のようなものです。
『自分自身や視点について批判されたくない』と思う方・『なんでお前が偉そうに語ってんだ』とか思う方は、ここから先は閲覧しないことをお勧めします。
よってここから先の閲覧は自己責任です。
根拠のある異論・反論は受けますが、無いモノは受け付けない場合もありますのでご了承ください。
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◇ Angel Beats!とは作品として何だったのか? ◇
『視聴者へ投げかけられた難題』
色々考えました。最終話が終えて、今この記事を書いているのが27日深夜(28日未明)ですので、約3日ほど時間が経過しています。そうして色々考えて、考えた上でこの作品ってどういった作品だったのか?と言うことを突きつめた結果が、上です。
良く聞く話ですが、クリエイターは(特に放映中は)あまり視聴者の感想レビューを観ないことが多いとか。それは、クリエイター側が作品を通して発したいモノと視聴者側が作品を観て受け取ったモノに差異が大きいことが多々あるらしい。
つまるところ、最終話を終えて賛否両論色々な議論が噴出している現在の状況は、正しくここにあるのではないだろうか?
クリエイター側(特に監督の岸氏、脚本家の麻枝氏)が作品に込めた想い・テーマと言ったモノを、今の視聴者はどこまで受信出来るのか? と言うところに尽きると思う。視聴者を試す、と言う言い方はあまり良くないと思うが、世界観・ストーリー・キャラクター展開などどれを鑑みても(尺の都合も多少はあるだろうが)、普通に考えてこれほどの監督・脚本家・スタッフが揃いながら、その展開に疑念を抱かないとは思えない。
となると、あの展開は必然だった。
そうして、13話観終わって、あるいはそこから観返して、何を感じ取れるのかを、逆にこちらが図られているようにさえ思う。普通、作品は受け手側が受け取って初めて評価されるものだ。それはコミュニケーションと同じで、『発信側にどんな意図があろうと、受信側がどう受け取るかが問題』と言うモノだからだ。
でも、ABはそう言った意味でちょっと色合いが違う。スタッフ側から『我々の意図を受け取れるかな?』と言う挑戦状にも近い。実際に、私を含めて一部の視聴者はスタッフBlogの記事にもだいぶ踊らされた(○話はABの80%を占めるなどなど)。
だからこそ、ABと言う作品はそうした『作品の存在そのものがテーマ』とでも言うべき存在にように感じる。
やや話題が逸れるが、
現在、主要地上波・U局での飽和状態から映画・OAD、さらにはネット配信などアニメの媒体は多様化を極めていると言える。アニメの本数はおそらくこの不景気で全盛期よりは落ちているだろうが、それでも、1クール作品の増加、2期や後期を前提とした1クール作品など変則放映などにより、かなりの数の作品で溢れている。
アニメ過渡期ともいえる状況で、アニメーションはその作画・演出技術は極まりつつある。さらにインターネットの普及・Blog、ツィッターなど一般視聴者が自らの意見を発信出来る簡易媒体の設立で、視聴者の声はより製作サイドに近付いたと言えよう。
でも、それは必ずしも良いことだけではない。
視聴者の数が増えれば、当然そこには製作サイドが発信して受け取ってもらいたい『本質』を捉え切れない視聴者が増える。そうなれば、そうした視聴者たちは『この作品は何が言いたいのか分からない』と自身のBlogや常連のBlogでそう言った旨の記事やコメントを発信するケースも増える。要は『好き勝手言い始める』のである。
だが、そう言った声に流されてクリエイターの製作方針がブレれば、作品もブレる。クリエイターの方々が放映中にそうした視聴者の表面的な声が浮かぶBlogやHPにあまり目を通したがらない理由はここじゃないかと思う。そう言えば、何かの雑誌で読んだことがある。一部の大物監督は、視聴者は作り手の声に耳を傾けず好き勝手主張ばかりするから嫌いだ、と。まぁ、確かにそうだろうな、と思う(それはある意味傲慢でもあるが)。
『進歩するアニメ。では、それを観る我々は進歩しているのだろうか?』
実際のところ、ABを観終えて、多くの方のBlogの感想も読んで私が感じたのはこんなことだったのだ。
そうして、話をABへと戻す。
ここから先は、かつての麻枝氏の功績を知っていて、私がやや過剰評価している側面も否定出来ないが、ご容赦頂きたい。
今回、ABがその広報で真っ先に銘打ったのは『あの麻枝氏が、全話脚本担当』と言うことだ。Air、Kanon、CLANNADと京アニ製作と言う部分もあったが、麻枝氏が脚本を手掛けたゲームのアニメ化が成功を収めている。そうした“威光”を借りた作品が、このABである。
そのABが果たして『この作品にはテーマなんてありません』なんて状態で始まるはずがない。
そこにはABと言う作品を通してクリエイターたちが伝えたい想いがあるはずなのである。しかし、最終話を終えてのこの状況。
私はこの状況を観ていて、私たち視聴者のレベルがまだ麻枝氏たちのテーマを読み取るに値していないのではないか、とさえ感じてしまった。
テーマはちゃんと発信している。それを受け取れていないだけ。
あの放映展開を振り返れば、テーマは生易しくない。おそらく難問だ。そして、その難問を紐解くだけの力が我々になかった。ただ、それだけなのではないか?
「そんな難問作る方が悪い」と思うだろうか? でも、それは半分正解で半分不正解だと思う。アニメがあくまでDVD・BDを始めグッズによる売り上げ・コスト回収に支えられていることを考えれば、無駄に視聴者に対して難解な作品は成功を収めにくいだろうからだ。
ただ、その一方で相手はそれでお金を稼ぎ、ご飯を食べているプロたちである。プロ野球選手が、それを観ている観戦者に小難しいプレーやルールがあるからと言われて、プレーのレベルやルールの難易度を下げるだろうか? 答えは否だ(言うまでもないが)。
このABと言う作品に関して言えば、そうしたクリエイターたちのプロとしての側面が強く出た。出過ぎた為に、視聴者には極めて難解な作品と化してしまった。
ちなみに言うまでもないが、私もまたそんなクリエイターたちの出した難問を解けなかった一人である。解けていれば記事に書いてるしね(ノ∀`*)アイター
~ 余 談 ~
まぁ、これは私たち側のフォローではないが、確かにABと言う作品は演出下手であった点は否めない。13話と言う時間内に収めきることが難しいほどの壮大な世界観とストーリーだったしね(実際に放映中から、劇中以前の小説がメディア戦略で出ている。これは明らかに放映出来ない内容のフォローである側面があるだろう)。
ぶっちゃけると、伝える側が完璧だったかと言えばそうでもないわけだ。だからこそ、余計に難解なテーマに見えるのだ、このABと言う作品は。まぁ、そう書いている私も、未だに明確にABのテーマを紐解けていないわけだがorz
◇ この作品はどう楽しめば良かったのか? ◇
この作品に限った話ではないのだが、こうした作品とどう向き合い、捉えると良いのだろうか? どうすれば楽しめるのだろうか?
極論を言えば、
『面白いと思えた者勝ち』
である。
これは上の自論とはやや趣きが変わるので注意してもらいたいのだが、作品には当然だがクリエイターたちの意図が作品に内在している。それを捉えられるか否かが上の自論だ。
だが、ここでの自論は『クリエイター側がテーマを発信したからと言って、それを受信することが視聴者の義務ではない』と言うところに結論付く。もっと簡単に言えば、『発信されたモノをどう楽しもうが個人の自由』と言うこと。
賛否両論が巻き起こった最終話。当然その中には、『感動した』『涙が出そうだった』『凄く良かった』と言う意見も見受けられた。どちらかと言えば、批判もあるが私もそちらに近い。こうした人たちにとっては、面白く思える“何か”を視聴しながら見い出したのだろう。
『面白いと思えた者勝ち』とはこういうことだ。
つまり、その作品を観ながら、「こっちの視点で見ると面白くないけど、こっちの視点で観ると面白いかも」と言う発見が出来るか否か。自分自身で観方を工夫出来るか否か。純粋に、どんな作品でも楽しみたいと思うのであれば、こうした工夫や柔軟さが必要不可欠だと思う。それが出来れば、どんな作品だって毎週待ち遠しい、楽しく面白い作品になり得る。
もちろん中にはこんな方々もいるはずだ。
「いいや、俺はアニメには○○○を求めているんだ」「私が作楽しめるのは○○○のある作品だけ」と言う、作品に対して確固たる評価基準と言うか採点基準と言うか、そうしたものをお持ちの方々だ。
私はそれが悪いとは全く思わない。
むしろそうした方々には、それを貫いてもらいたい。そうした方々には、そうした方々にしか視えない視点があるはずだし、作品の評価がある。
例えば「俺はアニメには、製作者からのテーマを大事にしている」と言う方は、テーマが見えない・見れない・自分が見るに至らなかった作品には手厳しい。だが、逆にテーマや主張がしっかりと伝わる作品に賞賛を送る。そうした方は、自分が持つ大事な基準の分野において、専門的に強くなれるし、精通することが出来る。
逆に私のように、作品に合わせて求めるモノ・楽しむモノが変化し続ける人間は、そうした専門的に強かったり、精通したりすることは難しい。たが、作品の中で楽しめるものを見つけられるから、たいていの作品は楽しく面白く見ることが出来る。
果たしてこの記事を読む貴方はどちらに当てはまるだろうか?
まぁ、そんな問いかけは脱線しているだけなのですが(爆
話を戻して、ABと言う作品に対しておそらく楽しめた人は後者で、楽しめなかった人は前者ではないかと思っている。あるいは、前者でもガッチリハマった人はとても楽しめたのだと思うが。
だから、辛い意見になるが、「つまらない」「楽しめなかった」と叫び続ける方々に私はこう言いたいのだ。
『楽しめなかったのか。それは残念。貴方には合わない作品だったね』と。
私は、私のように柔軟にとにかく作品を楽しむタイプも、自分が求めるものを探求するタイプも否定しない。あるいはそれ以外のタイプでもかまわない。作品を捉える捉え方は人それぞれだし、それは裏を返せば合う人と合わない人がいて当然だからだ。
なので、楽しめず、さらに自分の視点を変えるつもりがないなら素直に諦めて欲しい。
悲しいけれど、その作品は貴方には合わないのだから……。
~ ちょい余談 ~
ABを始め昨今のアニメ批判で多く見られるのは『~~~して欲しかった』『~~~であるべきじゃないか?』と言う意見。それ自体は別に良いと思うんですよね。それも楽しみ方の一つだし、私だってするし。
でも、勘違いしないで欲しいのは、それが行き過ぎてまるで『~~~して欲しかった。でもしてくれなかった。自分の思い通りの展開出ないから、この作品はつまらない』『世界観が全部明らかにならない。だからつまらない』と言うところまで来ると、それは批判にしてもやや傲慢で短絡的に思えてしまうこと。
自分で作っている作品ではないのだから、思い通りにならなくて当たり前(自分で作っていても思い通りにならないことだってあるのに)。
先にあげたように、見ていて納得出来ない点などがあっての批判は良い。むしろすべき。それは誰にだってある。私にだってあるし、記事に書いている。でも、その『批判=つまらない』と言う短絡的な結論では、先の項目ではないが、視聴者としての質が逆に問われると思う。そこは勘違いしないで欲しい。
あと世界観はそもそも、本来は公開されない『設定』の属するモノ。その作品のメディア展開が全て終わっているならまだしも、まだ他に展開中・その予定がありそうな作品なら早期の設定流出は作品の面白みを殺しかねない死活問題だ(ちなみにABは現在コミック展開中)。幾ら情報化社会とはいえ、何でもかんでも情報開示を求めるのは、いささか傲慢過ぎはしないか?
話は戻ってまとめ。
この『楽しみ方』『面白み方』は、クリエイター側の発するテーマの『受信能力』とはやや異なる。例えば、受信能力のレベルはテストの点数と一緒。しっかりと解ければ点数が高いように、受信能力が高ければテーマは受け取れる。でも、受け取ったテーマが自分に合うか合わないかは別問題だろう?
そう言った意味で、この『楽しみ方』と言う部分は、テストの領域の違いなのだ。例えば、文系・理系と言う違い。理系が得意とで理系が好きな人が、文系の問題を解いても高得点を取れるとは限らない(まぁ、オールラウンドな人もいるだろうが)。そして、仮に解けたとしても、そのテスト内容や結果を好きになれるかどうかは、一概に点数だけでは評価し得ないだろう。テスト勉強で捗るのはやっぱり自分の好きな得意分野だろう?
このテストが自分に合うか否かを見極めてから取り組むのが『楽しみ方』だ。
どちらも大切なことだと思う。
作品である以上、誰だって作り手の意図は汲み取りたいし、テーマを受信したい。その方が楽しめる可能性が高まるからだ。
その一方で、これまた作品である以上、その楽しみ方は個人個人に委ねられている部分もある。そこに作り手の意図もテーマもあまり関係はない。楽しんだ者勝ちなのだから。
これから先、アニメ業界はさらに作画精度や演出技術が高まることだろう。そうなれば、見た目で質の高い作品は数多く出てくる。
ならば、そんな作品たちの出す難問を解き、そしてその上で楽しめるように、そろそろ私たち視聴者もレベルアップを図るべきではないだろうか?
そんなことを、ABの中身と言うよりも作品そのものを観終えて感じた。
~ちなみに~
自分は色々な面でABを楽しみました。
まずは、世界観や天使ちゃんの正体などで毎回思考を巡らせ、考察を記事にしました。見えない世界観や込められているであろう意図やテーマを推察する、設定に対する面白さ。『けいおん!!』など日常系の作品や、あるいはラノベなどで原作を持つ作品ではなかなか出来ないことです。
次に、単純にキャラクターアニメとしての視点です。 ゆりっぺはだいぶ不遇な時代が長かったですが(笑)、魅力的なキャラクターに彩られたアニメだったと思います。キャラクターの感情の動きや心理描写と言うストーリー性よりも、キャラクターそのものが生き生きと動き回っている姿を、純粋に単純に楽しみました。
ネタも良かったです。コメディタッチの描写が多くて、ストーリー全体の中でコメディパートで消費した尺や時間なんかは考えずに、素直にそのコメディの内容と描写を面白おかしく見ていました。
個別に挙げればキリがないでしょう。キャラクターアニメとして上に書いてますが、キャラクター個別に見れば、天使ちゃんはマジ天使ちゃんで言うにおよばず、ヒロインだよね?と疑念を抱きながら悪役っぽいゆりとか、快活なユイ、音無とその他で対応が明確に違う直井、音無大好き(違)日向。
ガルデモが好きだった人には、岩沢やひさ子もそうでしょうか? TK人気も忘れられませんよね? 個人的には遊佐も忘れて欲しくないです(爆 え? 音無? あー、うん、そうね(マテ
ほら、楽しもうと想えば要素は幾らでもあった。あとは、それが自分に合致するか否か。
ある程度合致した私は勝ち組です(マテ
もちろん、後々別の纏めで書く予定ですが、諸手を挙げて賛成の作品でもありません。それは記事にも書いたしね。
生意気ながら視聴者の視点からでも改善出来た点があったのではないか?と思う部分も無きにしも非ず。
でも、そう言った部分があって、そうした悪い部分にばかり目が行って、作品を楽しめないのは損。悪い部分に目が向くのは人間として当然の結果ですけどね。
ただ誰もが認める、設定の素材としての可能性。
それがあったからこそ、私はABと言う作品を「どうしたら楽しめるだろう?」と考えたのかもしれません。
- at 02:26
- [アニメ(放送終了):Angel Beats!]
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