地獄少女 三鼎 第19話
『雪月花』
百鬼流と言う華道の家元に生まれた花緒里。しかし、自分の人生は自分で切り開くと決め、高校卒業後家を出てフラワーアレンジメントの仕事に就いていた。
しかし、父の死をきっかけに家元後継者争いに巻き込まれる中で、宿命の本当の意味を知って―――
<感想・考察>
今回は定めと言うお話。
宿命にも近い定め。花緒里もそうだし、ゆずきもそうです。そういったものって血筋とかじゃないと個人的には思っています。自論ですが、血筋ってあんまり絆には関係ないって思ってますから。要は血のつながりじゃなくて、人としてのつながり。血がつながっていてもその事実に胡坐をかいていたらその関係はきっと正しくないだろうし、逆に血なんてつながっていなくてもしっかりとコミュニケーションがとれていればそれは強いきずなになると思う。
まぁ、それはさておいて、宿命にも近い家督の相続。これが大きく影響するのはやっぱり血筋ではなくて、環境だと思うんですよね、私は。
確かに天賦の才や受け継がれる才能ってあるのかもしれません。でも、要は育ってきた環境なのだと。今回でいえば華道。
花緒里にはきっと才能もあったのでしょう。でも、何より彼女は環境に恵まれていたわけです。才能の有無に関わらず華道の知識と経験と技術を積むには十分な場所で、なおかつ生まれた時から触れているモノです。それに対してヒトとしての可能性で、無限大に適応していっただけ。それは才能の有無ではなく環境の有無。
生まれた時から華道に接していればそれだけ華道に対する意識や技術に触れている年月も長いわけで、それが才能に昇華したのだと花緒里の場合は考えています。
だから花緒里もある種納得していたんじゃないかなって。家督の相続。家元になるのも、そこで花緒里が生まれ育ったからこそ、そこに適応できる生き方を持ち、それにふさわしいだけの技量と経験を備えたわけで。
おそらくゆずきにも同じことが言えるのでしょう。
あいがゆずきの身体の中に入っていたのは、環境づくり。彼女が地獄流しを擬似的にでも体感することで環境を整え、そしてあいが去った後でもその環境での経験があったからこそ地獄通信にアクセスしているヒトを視ると言う能力に目覚めた。そして今、一目連たちの妖怪を見抜いてしまう力も付き始めた。
人を育てるのは才能ではなく環境。
そんな風に感じました。
次回『地獄少女vs地獄博士』。
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