地獄少女 三鼎 第11話
『滲んだ頁』
大人気とまではいかないが、少しずつ注目されてきた「摩天楼の影」と言う小説を書いたのは、市役所に勤める上坂六郎と言う青年だった。しかし、その作品になぞらえたような殺人事件が東京で起きたことで彼の小説家としての人生は潰されてしまう。
一方、時の人となりつつある六郎を取材した須美は部数優先のため編集長に根も葉もない記事に差し替えられてしまった。そのせいで事態を悪化させたことを悩む。
そして、連続殺人犯に最愛の妹を殺された由比は、殺人犯が動機に挙げた「摩天楼の影」を書いた六郎の下を訪れる。
こうして、異なる立場の三人が一堂に会した時、出た結論は地獄通信だった―――。
<あらすじ>
市役所に勤める上坂六郎は、執筆活動もしている小説家でもあった。彼の書いた小説「摩天楼の影」は大ヒット作品とまではいかないが、本年度のトップ10には入ることは確実で映画化の話も進んでいる人気作となっていた。
しかし、東京で連続して起きる殺人事件の描写が「摩天楼の影」に似ていることから素直に喜べない六郎。殺人事件がエスカレートするほどに「摩天楼の影」、そしてそれを執筆した六郎への注目度も高まってしまう。
売名行為とさえインターネットで言われることを快く思わない六郎は、ある時いち早く自分にアポイントメントをとってきたフリーライターの浅羽須美の取材を了承する。
六郎の作品にかける想いの強さと誠実さを感じた須美は責任を持って記事にすると約束したのだが―――。
後日、発売された週刊誌にはないことだけが記事にされていた。
事実を歪めた報道でも部数を取れればいいと勝手に記事を差し替えた編集長に激怒しながらも、須美はどうやって六郎に謝罪するかを考える。
一方、六郎は殺人犯である少年が逮捕され動機に小説の名を挙げられたこと、根も葉もない週刊誌の噂が周囲で流され続けていることで立場がますます苦しくなる。同僚からは、人気が右肩上がりの時はもてはやしていたくせに、苦しくなると手のひらを返したような態度さえとるものも。
そんな折、市役所を訪ねてきたのは連続殺人事件の被害者の姉・由比だった。
六郎、由比、そして謝罪にきた須美。
異なる立場の三人が集まった。職場での肩身の狭さと小説家としての将来を事実上つぶされた六郎、最愛の妹を喪い生きる意味を見失った由比、フリーライターの無力さと編集長に啖呵を切った手前今後ライターとしての活動が出来ないかもしれない須美。
三人の出した結論は、地獄少女にそれぞれの恨みの相手を流してもらうことだった。
六郎は手のひらをあっさり返すような同僚を、由比は妹を殺した犯人の少年を、須美は勝手に原稿を差し替え誤報を黙認した編集長を流した。
少しだけ世界の風通しが良くなった。
そう思った六郎だったが―――。
感想・考察はOPENからどうぞ。
<感想・考察>
上坂六郎
正直、ネタとしては洒落にならないですね、創作活動をしている方々(詳細にいえば創作活動をしていてそれを世間に公表している方々)からすれば。
特に戦闘系、ミステリー系の作品を描かれている方が見ていたら見ているだけで青ざめたり、死活問題だと思ったりしたのではないでしょうか。
劇中でも語られていたように、この手の動機付けはアニメや漫画と言ったサブカルチャーに対して強く向けられる傾向が強いです。理由は不明ですが、無理やりにも似た動機付けをする場合の多くが少年ないし比較的若い年齢層の方が多いため、そういった時に数多く触れるサブカルチャーだから、と言う部分なのでしょう。
はっきり言って、それを創作している方々、そしてファンとして利用し愛している私のような人からすればはた迷惑な話です。
今回の一件は、犯人の少年が周囲から「小説のせいにすれば刑が軽くなる」と吹き込まれているとはいえ、完全に作品内の殺人事件を模倣しているので、影響は確かにあったのは事実でしょう。
でも、それと殺人が実際に繋がるか、と言えばそれは否でしょう。もし、その作品を読んだ全員が殺人行為に繋がっているのであれば、また違うのですが、殺人と言う愚行に走ったのは犯人一人。小説を読んだ=殺人に走った、と言う方程式が成り立たない以上、そういったものをマスコミを含め報道すべきではない。
今回の犯人の少年だって、殺人に至ったまでには経緯があったはずです。何かストレスを感じていたのかもしれないし、イジメにあっていたのかもしれない。あるいは、平凡な生活に嫌気がさしたのかもしれない。
それらが複合して―――もちろん、その中に多かれ少なかれ小説の存在もあるわけですが―――殺人に至っているはずなのに、マスコミを中心に、まるで小説が殺人を引き起こしたかのような報道ばかり……。
あくまでサブカルチャーの要因なんて無数にある一因の一つではないでしょうか、マスコミ関係の方々? それとも部数がとれて、視聴率がとれれば無数にある要素のうちの一つを犯人役に仕立てて報道すればいいとでも思っているのでしょうか?
輪入道がラストで良いことを言っていました。
真実を伝えるのが報道。
犯罪の一因にサブカルチャーがあるのならそれはもちろん報道すべきです。でも、他の要素も無数にあるはずで、他の要素を排してまるで犯人探しの結論をサブカルチャーにだけ押し付ける報道はもういい加減止めてほしいものです。
あれ? 上坂六郎の項目だったのにσ(^◇^;)
話は脱線しましたが、六郎に全く非がないか、と問われればそれは否となってしまうのかな。
「討っていいのは討たれる覚悟があるヤツだけだ」
「人を呪わば、穴二つ」
etc......
六郎は自分が流した時点で気付くべきでしたね。自分が、無意識に手のひらを返す同僚を恨むのと同じように、他人や当人からすれば理由にさえならないような理由でも恨む人間はいるのだ、と。
創作活動をしている上で少なからず、不特定多数の人間が閲覧出来るのであれば出した作品に対して一定の責任はやはりあってしまうのだと思います。仮に六郎が、書きたいモノを書いたのだとしても、それが負の部分を持ってしまっているのだとすれば、それを覚悟の上で出すか、一般公開をしないかどちらかの道を選択しないといけなかったように思えます。
そして、六郎は前者の覚悟はなく、後者の道を選ばなかった。
これは別に創作活動には限らないですね。今こうして自分が書いているBlogの記事もそういったものに含まれるはずです。レビューに限らず、日記であったとしても同様。不特定多数の人が見れる以上、そこにはいざとなった時の覚悟(謝罪やら記事撤去やら閉鎖やら)は必要だし、その覚悟が必要にならないような一定の配慮は必要なのだと思います。
某動画サイトもそうですし、FC2でも小説投稿が可能になっており、インターネット環境とPCさえあれば不特定多数の人が見れるモノを出す以上、私たちにとっても決して他人事ではない一話だったように思えます。
余談。
殺人犯の母親が六郎を流したのは、やはり間違っているんですよね。
言い方があいまいなのは、自分がまだ親になったことがないから。
親からすれば善悪や理性を超越して、自分の子供の犯した罪を子供ではないどこかに求めてしまうのかなぁ、と。
でも、それは正しくないんですよね。母親からすれば、自分の子供がまさか同じように地獄に流されているとは思っても見てないでしょうから、殺人犯が生存していることを前提に話すと、そういった行為は子供にいい影響を与えないと思います。
だって、それは子供を教え導く立場の一人である「親」が子供の非に対して、今まで教えてきた自分や罪を犯した子供ではなく他人に原因を追い求めてしまっているのだから。
それでは、仮に子供の中に原因があった場合、それを正してあげることが出来ない。まして、小説を動機に挙げるような子供ならなおのこと、今後の未来を考えるとしてはいけないことだったように思えます。
もちろん個人的恨みで六郎を流して、子供の教導は別にしっかりやると言う可能性もないわけではないですが、やっぱりそれは子供が自分の中にある原因を見つめ、そして将来そういったものを含めいろいろなことを判断する点からみて正しいとは思えませんし。
まずは自分たちの側のミスがないか確認してから相手を疑う。この手順は決して間違えてはならないように思えます。
さらに余談ですが、今回の話を母親側から描くとそれはそれで面白いかもしれませんね。短編15分くらいで。そうなると、ラストで母親は息子が犯罪に走った小説家をこの世から消し去ったある種の達成感と言うか優越感を抱きながら、実は直後に息子も消失していて、息子が殺した被害者の家族が流したのだと推察して......と言う展開もオチがあっていいように思えます( ̄∇ ̄;)
次回『真夏のグラフ』。
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