雑記
とりあえず7連勤を逃れた月詠ですw あー、あと引っ越しが決定しましたねー。引っ越しって言っても4月(3月末か?)から社宅に移るだけですが。
なんか時間がありませんw 唐突です。コメント下さった方にお返事が遅れること、TBを下さった方にお返事が遅れることが物凄く申し訳ないです。
もうちょっと頑張れれば良いんですけどねw まだまだ体力的にも精神的にも慣れていない作業でギリギリですwww
最近思うこと。
それは、物事の本質の見極め。仕事の最初に言われました。別に叱られたとか指摘されたとかじゃなくて、最初の最初に。
その仕事をなんのためにやるのか、本質・本筋を忘れないように、と。
仕事をこなしていく内にその大切さが良く判る。まぁ、接客する時にお客様第一と言う視点と言うか観点と言うか大まかに言えばそんな感じのことです。
で、
最近某作品と接していて感じるのは、本質。作品が発する本質を理解しないといけないのだろうな、と作品と言う情報の発信を受け取る私は感じているわけですよ。
もちろん、どんな視点でどんなものを楽しもうとそれは個々の自由ではあるんですけどね。そう、個々の自由なんですよ。
Aさんが絶賛したからと言って、Bさんが絶賛する必要はない。むしろ酷評を与えたってOK。だって主観の上ではどんな感想も自由ですから。
でも、時折その作品の評価を周りの人から聞くのですが、なんか割と酷評の多い作品なんですよw 私も酷評してる作品ですから、あって当然だと思うけど、上の本質云々と言うことをここ1週間で理解しながら働いていたものですから、なんかいろいろと感じる。
普段私を含め多くの人、つまりそう言った作品からの情報を受け取る側って、発信する側に質を求める。それは当然だと思うし、OKだと思うし、むしろ普通。発信する側はそれを受け取って作品に反映すればいいのだし。でも、同時に私たちは受け取る側としての質の高さも求められているのかもしれない、と思う。それが作品の本質を見極める能力。
そこで、その作品の本質が自分に合うと思えば作品に接し続ければいいし、ダメだと思えば作品と接する機会を無くすなり、減らすなりすれば良いと思う。ダメでも接し続けるのも、まぁアリでしょう。
うん、なんか言いたいことが判らなくなってきたぞwww
まぁ、要は最近本質のズレた酷評ばかり聞いていて正直ウンザリってことです。ただ、それだけ。酷評しても期待してたり、どこかに惹かれている作品なら接し続けるのもまだ納得する(私がこれだから)。
だけど、それさえないのに接し続けている人とか見てると、「どうして接してるのさ?」と接しなければ良いじゃんって思うわけです。それこそ今週の~おかわり~の千秋じゃないけど、イラッと来る。
もちろん、私がイラッと来たからって別にその人がどんな風に作品を接しようとその人の自由なので私は何も言いませんけどね。
それは、個人の自由だし。ただ、本質的にその作品と貴方は根底で合わないからダメなんだから、止めておけ、と強く思う。
むしろ「私には合わないから」と言ってその作品とは接しなくなる人を見ると、好感を持つ。自分と同じ感覚を共有出来ない寂しさはもちろんあるけど、無理して観た感想とか聞かされても萎えるだけだしね。
私は合わないと思ったら、切ってます……たぶん(マテ 別に切ってたからって偉いわけじゃないですけどね。私の持論の一つみたいなもんですよ。
このサイトで判り易く言えば、う~ん……シャナⅡとか(マテ いや、あれは世界観とか合いそうだったんだけど、あの設定と世界観があるのに序盤のスローペースっぷりに本質は合いそうで合わないな、と思って感想辞めたんですけどね。
尤も、本質の見極めって重要か?と問われると、その判断さえ個人差がありますがwww
本質…
興味深く拝見しました。
いつも月詠さんはしっかりとした文章を書かれるのでうらやましい限りです。
>むしろ「私には合わないから」と言ってその作品とは接しなくなる人を見ると、好感を持つ。自分と同じ感覚を共有出来ない寂しさはもちろんあるけど、無理して観た感想とか聞かされても萎えるだけだしね。
「合う」「合わない」を見極めることもすごく必要ですよね。文句をいってる人も「好きだから」こそいってる人と「本当に無理」と思ってる人とか…様々な気がします。
わたしもいろんな作品をみてきた中で「ちょっと無理かな」と思ったものがあります。嫌いなのではなく「苦手」というか…月詠さんの仰るとおり他の方たちが大絶賛してる作品だったりすると少し淋しさを感じます。でも、そういう道もいいのかなぁと。
まとまらない文章で申し訳ないです(汗
長く書いてしまって大丈夫だったかな?;