地獄少女 三鼎 第23話
『日暮れ坂』
毎日のようにイジメられている文男。学校ではイジメを受けているが、成績はよく、教師たちからの受けも良いため、志望校に推薦で合格。さらに家庭は裕福と、イジメ以外は恵まれた環境だった。
一方、文男をいじめている中核の友秀。彼は貧しい家庭で育ち、さらに幼い妹を養うためにバイトまでしていた。高校で野球をしたい夢を持ちながらも、妹を養い続けるには、高校には行かず働かなければいけない。
さらに友秀には、決して言えない過去もあって―――。
<感想・考察>
いじめられている側はそうだし、いじめている側にも憎しみはある、と言うこと。
基本的に世間一般の見解は、単にいじめている側が「楽しい」だけと思いがちだが、本当はしっかりとした憎悪の裏付けがあって行われているモノもあるのだ、と言うことの風刺でしょうか。
火のない所に煙は立たないとも言いますし、恨む原因のないところに暴力は生まれないのかもしれません。
今回の文男は、何でも不自由なく手に入れることが出来た人。勉強に対しても、才能の一言で片づけるのは好きではありませんがそれなりに適正があって、両親は裕福で、相応の努力に対して一定のご褒美が出来る。それは、そういったモノを持たない人たちにとっては羨望の対象であり、同時に憎悪の対象でもある。
そして、友秀。確かに高校に行きたくても行けない彼にとって、「高校なんて大学のつなぎ」と言う文男は好意の対象には成りえないでしょう。何不自由なく育った彼を憎むのも一定の同情は出来る。だからと言って、それをイジメと言う形で相手に報復していいのかと言えば、そんなわけは当然ない。それは、片思いの人がいてその人が別の人を好きなことに対して恨んで報復するのに等しい、身勝手なもの。
彼は地獄流しをしても状況は変わらなかったと言った。それは本当にそうなのか。確かに彼は高校に行きたくても行けない。それは妹を養うため。
でも、それは彼にも解っていた結末のはず。自分を育てる者を流せば、養育費は誰が出すのか、と言うことになる。高校に行きたいのなら自分を含め施設で預かってもらう手もあったはずだが、それを彼はきっと拒んだのだろう。
選んで取った道なのに、他の道に目移りした。他の道に目移りしたのなら、そちらを目指せばいい。選んで取った道を選ぶならそれもよし。でも、どちらもしようとしなかったのだから友秀の周囲が変わらないのは至極当然。
ゆずきに関しては、遂に痛いところを突かれたな、と思います。
地獄少女になりたくないからあいを地獄に流すのであれば、それは彼女が今まで散々否定し続けていた自分の根幹「地獄流しなんてしちゃいけない。させちゃいけない」と言うものを全否定することになる。恨むのはいけないことだと言いながら、自分はあいを憎んでいる。
中学生らしいと言えばらしいのかもしれない、ウザイほどイタいほどの主人公ゆずき。来週は、そろそろクライマックスでゆずきに再度スポットライトが当たるっぽいですが。
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